禾乃登(皇紀弍千六百七十五年九月二日)

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 昨日は、二百十日でしたね。子供の頃、この日は野分(臺風)が來やすい日だとおそはりました。

 今日から、七十二候 四十二候 処暑 末候 「禾乃登」です。「こくものすなはちみのる」と讀みます。

 稻の穂が實のる頃です。
 美しいですね~。田の實りは。三大神勅をご存知ですか?日本人なら知つておきませう。昔の日本なら、小學生でも知つてゐました。國籍だけの日本人にならないやうにしませう。

 天照大御神が、天孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を地(我が國)につかはせるときに、瓊瓊杵尊に三つのことを云ひました。


天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)
「豊葦原の千五百秋之瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たる可き地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。行牟、寶祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、當(まさ)に天壌と無窮かるべし。」

 つまり、天地が續く限り日本は天皇家が統治者であるといふことです。支配者ではありません。我が國は、世界で唯一、「うしはく」ではなく「しらす」といふ統治形態をとつた奇跡の國でした。しらすについては、今囘は割愛しますが、これが我が國の國體です。これ知らずして日本人とはいへません。

寳鏡奉斎のしんちょく(ほうきょうほうさいのしんちょく)
「吾が兒、此の寶鏡を視まさむこと、當に吾れを視るがごとくすべし。與に床を同じくし、殿を共にして、斎鏡と為す可し。」

 この鏡でいつも自分を見つめ直し正しい統治を行ひなさい。

 つまり、「しらす」の國體は、民を「おおみたから」とし、自分のこと以上に大切にしろ。そして、それが出來ているかどうか、常にこの鏡を観て振り返りなさいといふ、天皇家の生きる姿勢を天照大御神は瓊瓊杵尊に傅へてゐます。

斎庭稻穂の神勅(ゆにはのいなほのしんちょく)
「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が兒に御せまつるべし。」

 この稻で民を養ひなさい。なので、我が國は米の國なのです。

 今の官僚は、神勅を知りませんね。知つてゐたら、減反政策などやりません。

 農協關係者もぜひ、この斎庭稻穂の神勅を見直してください。

 稻が實る、禾乃登に、もう一度、我が國の國體を見直してみました。

古代より 何もかはらぬ 我が國の 國のありかた 奇跡のありかた

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このページは、宝徳 健が2015年9月 2日 04:56に書いたブログ記事です。

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