三大神勅(皇紀弐千六百七十五年十一月一日 參)

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 今日は、たくさん仕事があるので、もう本日ブログを書くのは打ち止めにしようと思つてゐたのですが、テレビのあのばか騒ぎを観ると、我慢できなくなりました。

 我が國臣民は、好奇心旺盛で、他國のものを取り入れ自國文化にしていくのは否定しません。また、我が國は、八百万の神です。古代からどんどん他國を受け入れ、その受け入れた神をすべて我が日本の神にしました。メディアが云ふところの、「日本は移民を受け入れない」なんて、嘘八百です。

 でも、それは、きちんと我が日本の「國體」がわかつてゐての話です。

 なんですか?あの、馬鹿騒ぎは。ハロウィン。

 我が國で最も重要な行事である新嘗祭のことも知らず、新嘗祭を勤労感謝の日などと頭が痛くなる呼び方をして、そのくせ、他國の収穫祭で馬鹿騒ぎする・・・。愚か者です。

 これも三大神勅を知らないから起きることなのでせうね。古事記も讀まない國籍だけの日本人が増えてゐるからですね。
 我が國の正しい在り方を知らず、ただお勉強だけして大学を出ても、何の役にも立ちません。

 三大神勅とは、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと:天照大御神の孫)が、降臨(地上に降りて我が国を統治する)とき、天照大御神が三つの指令を瓊瓊杵尊に與へます。それが三大神勅です。

天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者であり、清く正しい統治をする限りそれは永遠に續く)

斎庭の稻穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作國家である)

宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思つていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)

 敗戰前の我が國臣民なら當たり前のやうに知つてゐる話です

 この斎庭の稻穂の神勅があるから新嘗祭があります。つまり、天皇陛下は、神話の世界から續いてゐることをずつとお續けになられ、そして、天皇陛下は、この行事が終はるまで、新米を食されません。

 こんなに素晴らしいことを知らず、なんですか、あれは?

 我が國は、八百万の神が鎮座してゐるので、他國からまうひとつぐらい神が入つてきても、なんてことはありませんが、臣民自軆が愚かになると國がつぶれます。

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このページは、宝徳 健が2015年11月 1日 07:38に書いたブログ記事です。

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