大和言葉廿五(皇紀弐千六百七十五年十一月二十二日 弐)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 私はファッションについての知識など皆無です。自分自軆も、ファッションには無頓着です。自分一人で服(特に私服)。を賈ひに行つた經驗など、(あるのでせうが)記憶にありません(靴とネクタイは好きなのでありますが)。

 ですから、着こなしの上手な人に出逢ふと、「素敵だな~」と思ひます。
 私たちの子供のころは、服を賈ふといふ習慣は、家にはあまりなかつたと思ひます。小學校髙學年ぐらいからかな、少しずつ、さういふ習慣が出てきたのは。特に我が家では、母の病気がひどくなるにつれて。

 ほとんどが、母や叔母の手縫いや仕立て直しのお手製を着てゐました。ほとんどの家がさうでした。私は、小さいときの寫眞を持ち歩いてゐますが、着ている上着は、明らかに父のお古を母が仕立て直したものです。

 セーターやマフラーもさうですね。母や姉が編んでくれました。かつては當たり前の女性のたしなみでした。

 話を戻します。自分を着飾るよりも、他に興味がたくさんあつたので、ファッションセンスがいまだにゼロです。

 ですから、私には「着映(きば)えがする」といふ言葉はあてはまりません。

 年配の方、特に女性が、着物などをきちんと着ている姿を見ると、とても魅力的ですね。さういふのを「着映えがする」と云ひます。

 「あなたが、着ると、なんでも着映えがしますね」「なんと着映えがする和服姿なのでせう」といふ風に使ひます。

 いいな~。大和言葉は素敵ですね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6129

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2015年11月22日 10:04に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「けふと云ふ日(皇紀弐千六百七十五年十一月二十二日)」です。

次のブログ記事は「オクトパス君(皇紀弐千六百七十五年十一月廿弐日 參)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。