和 手紙(皇紀弐千六百七十五年十二月二十七日 弐)

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 醫療機關に物申すが書けてゐません。實際に、醫療機關のコンサルを始めると、書くのが怖くなります。特に、醫者の實態を知れば知るほど。大丈夫かいな。もう少し、心を整えることが出来てから書きます。かなり勇氣がゐることですね。

 さて、ITが發達して失つたものがたくさんあることにはお氣づきでせう。私自身、ヤフーの路線情報檢索でスケジュール設定をします。情けない。でも、子供の頃から鍛えられてゐるので、いまだに時刻表を讀むことはできます。今の表現に氣をつけてくださいね。時刻表を「見る」といふ人がたくさんゐます。時刻表は「見る」のではなく、「讀む」ものです。時刻表を讀みながら、次にどこの旅をしようかとあれこれ思ひをめぐらすときの樂しさ。この樂しさを知らないまま一生を終える人がたくさんゐるのでせうね。かはいさうに(かはいさうとはかういふときに使ひます)。

 息子が小さいとき、
男は
一人旅ができるやうになれ
文を結べる(手紙を書ける)人間になれ
挨拶ができる人間になれ

と敎へました。あとは、靴を揃へるかな。私の子供に對する敎育はこれだけです。あとは、親が子供の成長を妨げないやうに注意しました。


 なので、小さいころから時刻表ゲームをして遊びました。「〇〇、今日の何時何分までに、父さんを▲▲に連れていくには、何時に出て、どういふ経路がいい?」と。

 彼は、本當に樂しさうに、私を旅に誘つてくれます。

 そして、時々、二人で鈍行列車の旅に出ました。彼に1万円を渡し「今日は、〇〇がお父さんを▲▲に連れていくんだ。切符を賈ふのもご飯を食べるもの全部〇〇が賈つたり拂つたりするんだ。父さんは、一銭もお金を持つていかないから、〇〇が使いすぎてお金がなくなつたら、二人で歩いて歸らう」

と、言つて出發です。樂しかつたな~。一番遠いところは福井縣今庄でせうか。鈍行列車の中でいろいろな話をします。そして、旅の仕方を傳授します。


 あのくだらない學校敎育に對應するのが親の敎育ではありません。生きていく力をつけるのが敎育です。

 ヤフー路線情報では、旅を樂しむことは絶對にできません。

 さて、手紙も書かなくなりましたね~。人と會つたあとに、手紙を書くと「なんで、手紙なんかくれたんですか」といふ腰が抜けるようなびっくり發言をいただくこともあります。

 自然と日本語も亂れます。言霊の幸ふ國が遠くなります。

 年の暮れになつて、殘りの日が少なくなつた時期のことを「數へ日」と云ひます。「年の瀬」とも云ひますね。「瀬」は流れが速くなつてゐるところです。その速さをかけてゐます。

「今年もいろいろなことがありました。私にとつて數へ日は、思い出を指折り數へる時期ともいへます」なんて、手紙に書いたら素敵ですね~。

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このページは、宝徳 健が2015年12月27日 03:21に書いたブログ記事です。

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