醫療機關に物申す(皇紀弐千六百七十五年十二月三十日 弐)

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 繰り返しておきますが、このシリーズ(あまり書いてゐませんが)は、「多くの」といふ言葉が着きます。そして、そのほとんどが「多くの」醫者を意味します。

 醫療業界の發展を阻害しているのは、間違いなく「多くの(今後この言葉は書きませんが)」醫者です。しかしながら、世間一般が、醫者を、その實際の價値以上に髙く評價しすぎてゐるのが現状です。この價値と評價の、大きなギャップが、他の業界では絶對に認められない常識を平氣でないがしろにします。
 例へば、かういふことが起きます。

「〇〇先生は、今、手術に入つてゐらっしゃるので、診察時間が遅れてしまひます」

 緊急手術で診察時間が遅れるのは仕方がないでせう。でも、この表現何かおかしくありませんか?

 企業で、お客様に、「今、〇〇部長は、來客中でいらっしゃるので、面會時間が少し遅れます」なんて言つたら、そのビジネスは、間違いなく破綻するでせう。

 醫者つてそんなに偉いの?

 こんなこともありました。

「宝徳さん、きちんといろいろな数値を測つているようだけど、血壓は、どうしてゐるの?」
「手首に巻くタイプでやつてゐます」
「ああ、あのタイプはだめなんですがね」

 會話は、これで終はりです。といふか、今後會話がしたくなります。

 (多くの)醫者はカウンセリング腦力、アスキング腦力、プレゼンテーション腦力がほぼ壊滅状態です。でも、それが認められてしまふ不思議な業界です。

 昨日の檢診でかういふことがありました。

「宝徳さん、調子がよささうですね」
「ありがとうございます。前は汗かきだつたのですが、余分な汗も出なくなりました。顔色や声の張りもよくなつたとみなさんから云はれます(と、まだ續けやうと思ったら」

「声の張りまで責任とれないなあ」
「・・・・・・・・」そん

 かういふ會話が起きます。張り倒してやらうかと思いましたが、辞めておきました。闘病日誌の時に出てきたあの内科醫です。昨日から担當になりました。

 その後も常に上から目線です。

 この状態では、患者は、話をしなくなります。その他にも紹介したいのですが、むかっ腹が立つのでやめておきます。

 この醫者は、絶對にビジネスの世界では、經營者にも管理職にもなることはできません。他業界で通じないことが通じてしまふ。不思議な世界です。

 誤解しないでください。最近、醫療業界に携わることが多くなりました。他の業界でしたら、かういふことを指摘して反省と検証を繰り返しながら成長していくのですが、醫療業界では、醫者に對して、かういふことを云ふのが許されない雰囲氣があります。

 私はタッチした業界を愛します。愛するが故のメッセージだとお考へください。

 醫療機關は、醫者がマインドフルネス(自分の立ち位置を知る)をすれば飛躍的に發展するでせう。

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このページは、宝徳 健が2015年12月30日 02:43に書いたブログ記事です。

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