フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年三月三日

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 保守とは何か。もう一度おさらいします。

國體(国体)を破壊しやうとする狂氣に對抗(対抗)する力

です。はつきり申し上げて、今の日本國民は、不勉強すぎます。このままでは、アメリカ大衆のやうに愚民化してしまひます。我が國の國體さへ知りません。だから、すぐにメディアに騙されます。「しらす」といふ國體を學習しませう。世界で唯一、「ウシハク(支配する)」統治が行われなかつた、奇跡の國 日本。だから、世界で唯一、歴史が連続しました。

 極端に申し上げて、不勉強であるがゆえに、多くの臣民が、この國體を破壊しやうとする狂氣になつてゐます。

 繰り返します。憲法と云ふ名の文章でしかない 邪敎 日本國憲法が後生大事にしてゐる三つがあります。學校のとき、習ひましよね?全部嘘です。こんなものを憲法として抱えてゐることが既に狂氣です。本當の意味は、以下の通りです。

國民主権:國家を転覆してよい權利 國が敵といふ概念が生まれてゐます。憲法とは權力を縛るものではありません。國體をあらはすものです。

基本的人権:人を殺してよい權利 最近の殺人事件の多さには、目を覆いたくなります。

平和主義:自分だけ平和なら、他國、他人が苦しんでいてもいい(だから、十四歳の女の子が北朝鮮にさらわれても、助ける意志さへありません)。

 保守を自認する人たちへ。しつかりと勉強しませう。 つづきです。
 フランス革命が勃発したのは、1789年7月14日です。ルイ十六世が処刑されたのがたしか11月では。サラリーマン時代、パリに出張に行きました。ちやうど11月頃でした。処刑を悲しむ人たちが、パレードをしてゐました。ルイ十六世は、ベルサイユのばらといふ、思想漫画に描かれてゐるような暗愚な爲政者ではありませんでした。

 この愚かなるフランス革命は、まさに國體を破壊しやうとする狂氣にほかなりません。なのに、この發言をすることは許されません。フランス革命といふ社會主義革命を否定することは學會ではタブーだからです。左翼といふのは、それほど、いろいろなところに入り込み、思想コントロールをします。怖いですね。騙されないやうにしませう。

 バスティーユ牢獄襲撃の時に、守備側、襲撃側を合わせて170名の死傷者が出ました。なのに、革命はは、その後も殺戮を重ねました。狂氣ですね。

 理論上革命を支持する人たちも、この革命側の狂氣をみて、革命から心が離れていきました。

1789年8月4日
 憲法制定國民會議が封建制度廃止を決議

同年9月2日
 議會の決議に對する國王の絶對的拒否權を否決

同年11月2日
 敎會財産の國有化を宣言

 いろいろと手を打ちますが、政治の素人たちです。國家財政は、惡化の一途です。ものすごいインフレになります。經濟問題で始まつたフランス革命は、殺戮に變はり、そして、革命以前よりも、經濟が惡化しました。

 權力爭いも、魑魅魍魎とします。裏で糸を引いていたのは、オルレアン公です。これは次囘に。

 1789年は、ちなみに、我が國では、寛政の改革が始まつた年です。田沼意次がその弐年前に失脚して、松平定信が寛政の改革を始めました。田沼をぼろくそに云ふ人が多いのですが。私は、政治家としては、定信よりも意次を評価します。地政學を理解し、外國の脅威に備えやうとしてゐたのは、意次です。その後、誰も地政學を理解しなくなつたので、開國のときに、えらい目にあいました。

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このページは、宝徳 健が2016年3月 3日 07:07に書いたブログ記事です。

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