拝啓 UN樣(皇紀弍千六百七十六年三月二十二日)

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 IKさんから、いかなごの釘煮をいただきました。お母様作。絶品なんですよね~、これ。いただくのが樂しみです。

 すごい本が手に入りました。

 ひとつが、「物語 イギリスの歴史 上下 中公新書 君塚直隆著」です。イギリスを知らないと世界がみえないとよく云はれますが、確かにその通りです。今、イギリスに凝つてゐます。


中公新書


 中公出版と云ふ出版社はよい本を出します。例の「フランス大革命とシャトーブリアン」もさうです。
でも、かういふ真面目な出版社は經營が苦しいのです。岩波のような國家破壊出版社が儲かる。臣民がもっとしっかりする必要があります。

 そして、そして、そして・・・。「驕れる白人と闘うための日本近代史 文藝春秋 松原久子著」です。この本はなんと、原書がドイツ語です。ドイツ語は、「Raumschiff Japan」で、日本語では「宇宙船日本」となります。面白いと云ふか怖いと云ふか。

驕れる白人と闘うための日本近代史


  本からの引用です。

「近東、インド、東南アジア、中国、日本といった古い文化の中心地に比べ、中部及び北部ヨーロッパはかつて荒涼とした貧しい土地だった。(略)その事実はいくら壮大な大聖堂を建設しても覆い隠すことはできなかった」

「いかに中部・北部ヨーロッパが貧しかったかは、オリエントからヨーロッパへ流入してきた商品とヨーロッパが近東に届けることのできた商品とを比較してみるとよく分かる」

「オリエントからは、樟脳、サフラン、大黄(だいおう)、タンニンなどの薬品、鉱物性の油や揮発油などが輸入された。最も渇望されたのは、いうまでもなく砂糖や胡椒、グローブ、シナモン、ナツメダといった各種の香辛料だった。胡椒は一時期貨幣の役目をしていたこともある」

「繊維製品では、生糸と麻で、高級絹織物やビロード、金糸、銀糸も持ち込まれた。アジアを原産地とする宝石、珊瑚、真珠。高価な陶磁器も運ばれてきた」

「これに対してヨーロッパが納入できた商品リストはささやかで、簡単だった。羊毛、毛皮、皮革そして蜜蝋である。この他にはほとんど何も地中海の向こう側の人たちを魅了できるものをヨーロッパは提供する事ができなかった」

「オリエントとのヨーロッパの交易は慢性的な赤字だった。ヨーロッパ人は、ヨーロッパ外の地域から購入したものはすべて、金・銀で支払わなければならなかった。何トンもの金・銀がアラブ商人の懐に消えていった。しかし、ヨーロッパ上流階級の人々のオリエント商品への渇望は、貪欲で飽くくとを知らなかった」

「そこで、何世紀にもわたってアジアへの輸出のために特別な商品が用意されたのだった。その商品とは、ヨーロッパ人の奴隷である」

「西洋がアラブに輸出した白人奴隷は、現在通用している世界史から跡形もなく削除されている」

「しかし、真実は、奴隷はヨーロッパのオリエントへの主要な輸出商品の一つだった。なぜならば、ヨーロッパは奴隷以外に商品価値を持ったものは何も提供できなかったからである」

 怖いですね~。今まで、私たちが學習してきた歴史は、すべて嘘だったと思っていただいて結構です。彼ら、特に、カトリック敎會主義の都合のいいやうに書き換えられてゐます。

 彼等は正しい歴史を知っている者を殺そうとします。「正しい歴史を知っている。それだけで殺十分な理由になる」とのたまひます。

 彼らが力を持ったのなど、このほんの数百年間のことだけなのに。東洋と西洋を比べたら明らかに東洋の方がすぐれてゐます。

 でも、この改竄された歴史を學んだ私たちは、なにか白人は昔からすごい奴らだといふ印象を持つてゐます。

 さて、その白人が中心のUNがあります。外務省は何に気を使つたのか、このUNを國際聯合と譯しました。ばかな・・・。「連合軍」が正しい譯です。敗戰國を見張るのがUNなのです。

 その聯合軍が、支那の謀略もあってか、我が國の皇室典範にケチをつけてきました。女性蔑視だと。

 拝啓 UN樣

 お答えしませう。我が皇室は、女性を排除して来たのではなく、徹底的に男性を排除してきました。女性はどんどん受け容れ、男性は皇室以外には一切受け容れていません。なので男性蔑視なのです。

 そしてひとつ敎へていただきたいのですが、カトリックの神父に女性はゐましたっけ? ローマ法王に女性はいましたっけ? お答えいただければ幸いです。    敬具

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このページは、宝徳 健が2016年3月22日 16:33に書いたブログ記事です。

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