治天の君 最終囘(皇紀弍千六百七十六年三月三十一日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日で、今年度も終はりですね~。早い早い。櫻も今週末が見ごろかな?

 國會では、目も當てられないおぞましい光景が續いてゐます。臣民が選擧で選んだ國會議員で議論して決まつたことを、デモといふ武力行使で變更させやうとしてゐます。武力行使反對と叫びながら自分たちは武力行使をする。これをテロと呼びます。そして、そのテロに野黨の黨主や幹部が參加してゐます。メディアは否定しません。どうなつとるんじゃい。

 さて、治天の君の最終囘です。治天の君は歴代たくさんいらっしゃいました。でも、その權限を行使したのはたつた一人なのです。
 前々囘もうしあげた、廣義門院だけです。しかもこの人は、皇室出軆ではないのです。

 治天である光嚴上皇が南朝に拉致されました。なので、北朝は天皇を指名することができません。しかたなく、廣義門院を治天の君にしたてあげ、後光嚴天皇を指名しました。

 我が國は、基本的には「しらす」といふ國體を續けて參りました。しかし、皇室も人間です。また、その皇室の周りに巣食う權力者たちがゐます。時々ガタガたしたのは、事實です。

 それでもそのガタガタを包み隱さず、後世に傳へてゐます。

 二度とそんなことを起こさないやうにと云ふ皇室の智慧です。

 古事記を讀んでも、特に人代に入つてからは、とても人間味あふれる數々の事件を包み隱さず、書いてゐます。

 歐州のやうに、同朋を奴隷にした歴史などは抹殺しないのが我が日本なのです。眞實を知りませう。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6249

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年3月31日 06:50に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「春蚓秋蛇(皇紀弍千六百七十六年三月二十九日」です。

次のブログ記事は「フランス革命と保守(皇紀弍千六百七十六年三月三十一日 弍)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。