フランス革命と保守(皇紀弍千六百七十六年四月十四日)

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 ルソーについての續きでしたね。

 ルソーは、絶對王制について、嚴しい批判を展開し、民主主義の共和政を主張します。ルソーにとつて、個人の自由と平等とは、その一片たりとも他人に譲り渡してはならない添付の絶對的權利です。
 自由と平等とを束縛し、不平等を強要する王制を廢し、全人民を主權者とする共和政を確立しやうといふのです。ルソーの想定する共和國は、一主權者に對する服従がないので、完全な自由と平等があると約束してゐます。加へて、人間は善と德とに満ちてゐるので、全人民の総意の下に決定される法や政府は、最良の者であると約束してゐます。

 フランス革命を勃發せしめたのは飢餓感であつて、啓蒙思想ではありませんでした。しかし、啓蒙思想は勃發した革命を正當化するといふ役割を担ひます。革命家たちは、ルソーの説いた民主主義の原理を唱へながら、革命の歯車を立憲王政から共和制へと急轉させていきます。そして、ルソーの想定した共和國は、國政の現實の中で否応なくテストを受けることになるのです。

 「耳に心地よい言葉」は、すべて危險であると云つても過言ではありません。學生時代に資本論を讀んだときも、あの心地よい言葉に思はず騙されさうになりました。

 この耳に心地よい言葉が、獨り歩きして、世論を形成することが多々あります。それに逆らふことがタブーのやうに。民主主義の最も恐ろしいことです。共和制になるとそれがさらに過激になります。

 大日本帝國憲法には「主權」といふ言葉がありませんでした。明治人たちの歐米に對する挑戦です。「歐米さんたちよ、我々は憲法にわざわざかかなくても、國開闢以來、そんな政治はすでに行はれていたのだ。我が國に主權といふ言葉は不要なのだ。歐米さんたちよ、素晴らしいでせう」と。

大日本帝国憲法第一条の原案は、

 大日本帝国は萬世一系の天皇が治(し)らすところなり

でした。井上毅が命を懸けて歴史を知らば、そして行き着いた我が國の國體「シラス」。それが見事に表現されており、そして、そこには天皇と臣民の間に、權利義務の發そうなど皆無なのです。

 これがかつての我が國のすばらしさです。

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このページは、宝徳 健が2016年4月14日 06:08に書いたブログ記事です。

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