フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年四月二十五日 參)

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 不思議なことがあります。自國を捨てて難民になる人たちがゐることです。命の危險はもちろんあるのでせう。

 でも、私は、どんなことがあつても、國で死にたい。

 不思議なことがあります。おなかがすいたら國王を殺してしまふ國があることです。私たちの感覺では信じることができません。

 不思議なことがあります。自分の國のことを學ばずに、そんな國々を見習へといふ人たちがゐることです。嘘で塗り固められたことを信じなさいといふ人たちがゐることです。

 この前の續きです。我が國で、お腹がすいたからと云つて臣民が、それも女性が皇居におしかけますか???
 1789年10月5日午後3時、ベルサイユ宮殿に到着した女性たちは、憲法制定國民議會の儀じょうを占據しました。槍、焼串、鎌を手にした女性たちは險しい顔をしてゐました。議場から離れた女性たちは、宮殿の鉄格子の門扉に向かつて駆け出しました。このまま放置すれば女性たちは鉄格子を上って宮殿に亂入します。亂入を防ぐためにルイ十六世は、7,000人のうち四人の代表と引見しました。

 「陛下、パンを!」。ルイ十六世は、飢餓を訴へる四人の言葉を静かに聞いてから、述べました。「余は、汝らの子が飢えぬやうに、然るべき命令を下す所存である」。ルイ十六世はパンを與へる約束をしたのです。

 ベルサイユにパンがあつたわけではありません。それに、ルイ十六世は、經濟危機を打開し、食料を供給するといふことに對し、今や何の權限もありませんでした。

 絶對的拒否權を發動できれば、大革命の進展を拒むことができたのですが、今は、議會の決議した法案の發効を一時延期するだけの停止的拒否權しか持つてゐません。

 でも、ルイ十六世は、そんなんことは女性たちには云ひませんでした。國政の事實を話して女性たちを混亂に陥れるよりも、つかの間の安心を與へたのでした。

 引見後女性たちは、「國王陛下、萬歳!」と感動の声を上げて宮殿中庭に出ました。でも、中庭で待ったいた女性たちは、パンをもつて戻らなかつた四人を罵倒しました。 つづく

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このページは、宝徳 健が2016年4月25日 08:37に書いたブログ記事です。

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