テロリストと愚民たちへ(皇紀弐千六百七十五年九月十八日 弐)

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 決められた政治制度以外で、特に暴力で、意思決定合意形成過程を破壊しようとする行爲を「テロ」と呼びます。今、國會議事堂の外でガーガーわめきたててゐるおぞましい妖怪たちがまさにさうです。

 國會内にもゐます。武力行使反對を叫びながら、憲法違反はダメだと叫びながら、自分たちの意が通らないと、武力行使と憲法違反で議決を阻止します。

 自分自身では何も勉強せず、メディアや世の中の風潮に流されて、間違つたことをする人間たちを「愚民」と呼びます。大東亞戰爭開戰前、朝日新聞を筆頭としたメディアの「戰爭をしろ」といふ煽動に乗せられて、我が國を開戰に導いた愚民たちがそうです。當時、「開戰」を叫ばないと、議員は選擧で當選しない雰囲気だつたと云ひます。
 公聽会に、學生テロリストを出す、民主黨の愚かさ。そのテロリストの中で、自分の考へを訴へる、枝野といふ男。そして、一度でも、こんな民主黨に政權を委ねた愚民たち。

 あの時、民主黨に投票した愚民は恥を知れ。

 枝野といふ男は、過激派から献金を受けてゐます。民主黨政權自身が、この過激派からどれほど支援されてゐるか。つまり、暴力左派政黨です。

 國民主權といふ、實は、世にも恐ろしい發想を、金科玉条のやうに考へ批判することさへ出來ない風潮があります。統治經驗のない、愚か者集團が、主權者となる。考へただけでも身の毛がよだちます。

 國民主權とは、愚民が、國家を轉覆しても良い權利です。わが国の三千年の歴史(本當は八千數百年)をきちんと勉強してゐれば、この國民主權がいかに我が國に不要な概念かがわかります。大日本帝國憲法には、「主權」といふ言葉さへ出て来てゐません。大日本帝國憲法は、「憲法とは歴史である」といふ正しい認識に基づき、井上毅ら、我が國の救世主たちが、歐米に對し「我が國には、お前らと違い、そんな概念などな必要なく、八千數百年續いて來た素晴らしい歴史があるのだ」といふ挑戰だつたのです。

 それが、あの邪教であり、憲法と云ふ名の文章でしかない日本國憲法によつて、ぐちゃぐちゃにされました。

 憲法違反だと云ふ人間に聞くと「でも、憲法改正はだめ」となります。憲法護つて國滅ぶ。なんのための憲法でせうか? このことを考へるだけでも、邪教日本國憲法は、その存在價値がないことがわかります。

 邪教 日本國憲法が敗戰後七十年の平和を築いたとアホな事を云ふなら、その邪教 日本國憲法に、「台風くるな」「震災くるな」「大雨ふるな」と書いておけ。おっと、憲法改正はダメなんでしたね(大笑)。

 テロリストと愚民。私の人生ではありえない。

誰が正しいかではなく、何が正しいか
一軆獨立して、一國獨立す
國を支へて、國を賴よらず

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コメント(2)

おはようございます。
退院おめでとうございます。
今後もブログ記事を楽しみにしています。

今回も民主党や社民党、共産党といった政党は酷かったですね~。いちいち列挙できないくらい酷いことばかりでした。
ルール無視のテロ政党とその支援者達のことは理解不能です。

 深田さん、コメント感謝します。少しずつ、ちょっときつめに負荷をかけて仕事をしています。みんなすぐに「無茶をするな」と言いますが、今の自分に負荷をかけないで身体は戻りませんものね。共産党の戦略に今回は完全に敗北しました。コミンテルン式他組織破壊術はまだ生きているのですね。それにしても、ひどいのは國民です。バカが多すぎますね。正しい情報を発信し続けましょう。あんなに美しかった我が國なのですから。

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このページは、宝徳 健が2015年9月18日 03:26に書いたブログ記事です。

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