フランス革命と保守(皇紀弍千六百七十六年弍月十五日)

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 眠れない・・・。仕事もあるし、もう起きてゐることにしよう。前囘の續きです。

 ルイ十六世は、國民議會を招集しますが、その運營について、どんどん譲歩を迫られます。絶對王制が存亡の危機となつたことから、ルイ十六世は軍隊をを召集しました。軍隊によつて議會を威嚇し、議會を解散させようとしたのです。

 なので、召集された軍隊は、練兵場に集結したままで、進軍はしませんでした。

 それでも議會が解散されないのに苦慮したルイ十六世は、財務総監を交代させます。つまり、財政再建を達成して王權を獲得し、議會の勢力を交代させようとしたのでした。

 このとき、あるジャーナリストが民衆を煽ります。メディアとはいつの時代も馬鹿なものです。

 デームランといふジャーナリストが、パリ中心街 パレ-ロワイヤルで叫びました。「武器をとれ!ぐずぐずするな!財務総監が罷免された。今夜、スイス兵とドイツ兵が我々を殺すためにやつてくるぞ」

 もちろん根も葉もない嘘です。

 でも、パリ市民は、フランス各地に多發してゐる食糧暴動に浮足立つてゐました。デームランに踊らされて、兵器廠を襲います。大砲二十七門などを奪つた民衆は、その後も次々と武器を集め、ついにバスティーユ牢獄を襲撃したのでした。

 これが高校生の時に社會で習つたバスティーユ牢獄襲撃事件です。

 でも社會の授業では、お馬鹿なメディアのことは習ひませんでした。これは一體なにを意味するのか。

 つづく

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このページは、宝徳 健が2016年2月15日 00:38に書いたブログ記事です。

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