世界史と古事記(皇紀弍千六百七十六年四月二十八日 弍)

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 歴史學者でも考古学者でもない私がシリーズで勝手なことを書きます。でも、恐らく學者ではかけない本當のことだと思ひます。神代の途中までです。特に、縄文時代と彌生時代を私達はいいかげんに習つてきました。世界四大文明が眞赤な嘘であることは、日本以外では常識ですし、縄文時代のことが書かれた本などを讀むと、人々は毛皮を着ていたやうに書かれてゐますが、これも眞赤な嘘です。

 そして、古事記は、彌生時代に移り變はるとき以降、常に支那大陸との戰ひだつたことを物語つてゐます。さあ、お樂しみください。
 人類はアフリカで生まれました。そして、世界各地に散らばりました。一部は「太陽の昇る國とは一體どんな國なんだらうか」と東へ東へと進みます。當時は、氷河期だつたので、日本海を渡ることができました。

 そして、來てみると、食べ物は豐富で、戰ひのない平和な場所があつたのです。それが日本です。人々は天皇家を中心に平和に暮らし、天皇陛下は、「しらす」といふ國體を護り、人々を「おほみたから(自分よりも大切な存在)」と呼びました。

 稻作は、我が國から支那大陸に傳はりました。これは科学的に證明されてゐますが、我が國の考古學者は認めてゐません。

 もうこの頃から織物があり、きちんとした洋服を着てゐました。

 なんと、この頃には、對人用に武器がひとつもなかつたのです。ゆつたりとして生活の中、藝術のやうな縄文土器も生まれました。

 その後も、どんどん海から人々がやつてきましたが、日本に住みついた人々は、野蛮な海から來た人々に正しい生きる姿を敎えます。

 そんな縄文時代に變化が起きます。つづく

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このページは、宝徳 健が2016年4月28日 22:42に書いたブログ記事です。

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