焚書坑儒の眞實(皇紀弐千六百七十六年六月二十九日 參)

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 三十歳から大量の讀書に挑戰してきました。學生時代も讀書は好きでしたが、量が違ひます。良書に出逢ひ、古典に出逢ひ、支那の古代 古典にも出逢ひました。四書五經も讀みました。

 「へーーーー、古代支那人つて、こんなに素晴らしかつたんだ」と感じたこともありました。それが、ただの理想論を語つただけで、支那では、一切實現されなかつたことを知るまで・・・。
 
 歴史も歪曲されてゐます。まだ、我が國は、よいはうです。眞實を語らうとする人がたくさんゐますから。大量に本を讀むとある時期から、事実、眞實、眞理に触れるやうになります。

 焚書坑儒もさうです。秦の始皇帝が儒學の本を焼き捨て、儒者を大量に埋めたなんてことになつてゐますが、これは嘘です。
 秦の始皇帝がいなかつたら、今の、支那はないですし、「支那」という音も秦からきてゐます。そして、始皇帝は數々の功績を殘しました。

 皇帝といふ彌號(称号)の採用、新たな暦の採用、縣と郡の配置、度量衡と車の軌道と文字の統一、公認漢字三千三百を定め讀み方を統一、富豪の首都移住・・・。

 すごい政治力です。經濟感覺もあります。

 その功績の一つが焚書です。全國を統一するため文字を七國(戰國時代に最後まで殘つた七つの國)ですべて違つてゐたのを、秦の文字だけ殘して、あとの書物を焼かせました。これが焚書です。これをしなくては統一は無理でしたし、國家運營はとても非効率になつてしまひます。すばらしい政治實績です。始皇帝がいなかつたら、もしかしたら、今の支那もないのでは???

 坑儒は、罪人を罰したのを儒者が始皇帝を非難するために後ででつちあげたものださうです。儒者つて偉いやうに云はれてゐますが、實は、惡人なんですね。

 なんだかな~。本當のことを子供のころから敎へてほしいな~。

 まあ、もつとも、我が國以外では「正しい歴史を知つてゐる。それだけで殺す十分な理由になる」が常識なのですが。

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このページは、宝徳 健が2016年6月29日 01:07に書いたブログ記事です。

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