十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年七月十五日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 明日の朝は、恐らくブログが書けません。今のうちに、日付も明日にして。

 皇室典範を、あんな國會議員共に議論させることなどできるのでせうか。皇室典範が憲法の範疇に入ってゐること自體がおかしいのです。違和感がありますよね。かういふ議論が巻き起こればいい。皇室典範は天皇家の家法です。臣民に觸はる權利などあるはずがありません。

 そして、天皇家には、憲法や皇室典範よりももつとすごいものがあります。祭祀の慣習法です。天皇家が數千年來續けてこられた、誰にも觸はることができない慣習です。天皇陛下は、正月三が日は寢ないさうです。悪い夢を見ると臣民が不幸になるからです。すさまじいまでの生き方ですね。竹内睦泰氏によると、この祭祀の慣習法が年齢により守れなくなったので、譲位するとのこと。なるほど。

 數千年にわたつた慣習法が、我が國を揺るがすパワーを持つてゐます。我が國の底力です。

 さあ、歴史を學びませう。日本人として生きるために。十七条憲法 第六条の譯です。前囘、譯のはうを書いてしまひました。すみません。本分は省略しますね。解説を。
 善も惡も人間社會には當然起きます。それを役人がやるなよと戒めてゐます。

 善惡の判斷基準が、欧米・支那と我が國では全く違ひます。

 韓國から我が國に帰化された呉善花(オソンファ)さんといふ方ゐます。彼女は、最初、我が國の週間になじめずかなり惱んださうです。そして、徐々に我が國の素晴らしさに目覺め帰化しました。

 今は、拓殖大學で敎授をされてゐます。講義の中で、日本の素晴らしさを話すと、學生たちが「でも、二本にもかういふ惡いところがあります」と云ふさうです。

 すると呉善花さんは、笑いながら「人間社會なので、當然あります。でもね、その程度で濟んでゐるから日本はすごいのよ」と答へるさうです。

 神拜紙に、大祓詞(おおはらえのことば)があります。毎朝、暗唱してゐます。

 我が國の成りたちと、我が國の在り方が書いてあります。

 惡が發生したら、みんなでそれを消し去らうね、といふ内容です。すごい國です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6411

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年7月14日 20:27に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「源氏物語 16(皇紀弐千六百七十六年七月十四日 四)」です。

次のブログ記事は「送り梅雨(皇紀弐千六百七十六年七月十五日 弍)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。