フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年七月二十日 參)

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 ずいぶん、間があいてしまひました。

 ヴァレン事件で、ルイ十六世一家が、民衆に拉致されてしまひました。私たち日本人には信じられません。やはり、我が國皇室と臣民は一體なのですね。

 ヴァレン事件を知つた、シャトーブリアンは、急遽、帰國の途に着くことを決意します。
 彼がアメリカに來たのは、共和主義的立場、大革命支持の立場が崩れ去つたからでした。革命に伴う残酷を知り、恐怖を覺へたからフランスを離れたのでした。

 祖國を離れた彼が、帰國を決意したをかう語つてゐます。「私の精神に、突如として轉向の作用が生じたのだ」。ヴァレン事件を知つた時點で、シャトーブリアンは、共和主義的立場、大革命支持の立場を葬り去り、絶對王政主義者、反革命派に體を轉じたのでした。

 それは、名譽の觀念でもありました。

 國王は、累代、樣々な儀式儀礼を設けました。その儀式儀礼は、一方、國王自體を威光で包むといふ機能を持ち、他方、儀式儀礼に與へる特權を得た人間に、名譽を授けるといふ機能を持つものでした。そして、名譽を授かつた人間は、名譽といふ觀念を通して、國王、ひいては、國王の統治する國家と強く結びつくやうになります。つまり、國王に對する忠誠心、國家に對する帰属意識、この二つの要素と一體となつてゐる觀念が、名譽の觀念です。

 今更、何を・・・と、日本人なら思ひますね(笑)。我が國のすごさ がわかります。

 ヴァレン事件で、シャトー・ブリアンは、名譽の觀念に目覺めます。

 彼の脳裡には、國王拝謁の儀式の日の記憶と狩猟随行の日の記憶とが蘇り、彼の精神は、ルイ十六世への忠誠心と祖國愛とに浸されたのでした。

 アメリカ共和國の現實に失望を感じた以上、共和主義的立場を葬り去ることに未練はありませんでしした。

 1791年12月10日、シャトーブリアンは、フィラデルフィアから船で帰國の途に着きました。「旅人としてアメリカにわたり、兵士たらんとして、西歐に歸へる」と。

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このページは、宝徳 健が2016年7月20日 06:43に書いたブログ記事です。

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