フランス革命と保守 2(皇紀弐千六百七十六年一月二十六日 四)

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 憲法と云ふ名の文章でしかない 邪敎 日本國憲法が、後生大事にしてゐる言葉に「國民主權」があります。

 これはフランス革命からきてゐることばです。といふことは社會主義の言葉なんですね。意味は「國民は、國家を転覆してもよい權利を有する」といふことです。實は、この邪敎は、とても危險な憲法なのです。こんなのを勉強しないと、國家公務員や辯護士になれないなんて、恐ろしくてしかたがありません。

 ちなみに、基本的人權は、人を殺していい權利です。だから、若者が平氣で人を殺します。平和主義は、「一國平和主義」です。これは不可能です。外交が不要だと言つてゐます。

 嘘の歴史を學習することは不幸なことなのですが、我が國(我が國も今は嘘だらけですが)以外では「正しい歴史を知っている。それだけで殺す十分な理由になる」が基本的な考へ方です。
 ベルサイユのばらを讀んだとき(子供頃)、「どうしてこんなことが起きるんだらう」と不思議で仕方がありませんでした。王樣をギロチンにかけるなんて・・・・。

 この狂氣 フランス革命をおさらいしておきませう。

 ちなみに、保守とは「國體を破壊する狂氣に対抗する」ことです。今まさに、我が國でも、この素晴らしい國體を破壊しやうとする勢力と他國の切り崩しがすさまじいことになつてゐます。臣民がしつかりと、「シラス」といふ世界唯一の奇跡の國體を把握しませう。

 フランス大革命が大革命と云はれるのは、第一に、1789年より1804年まで、十五年間續く長期の革命だつたからです。第二に、五つの革命になる大規模なかくめいだつたからです。

1.上層ブルジョワジーが議會の指導權を掌握してゐた1789年7月14日、大革命が勃発します。

2.1792年8月に中層及び下層ブルジョワジーの利益を代表するジロンド黨が實權を掌握し、立憲王政を唱える上層ブルジョワジーを敗訴しました。

3.1792年9月、王制廃止と共和政宣言がなされます。

4.1793年6gつ、無産階級の利益を代表する山岳黨が、ジロンド黨を追求し、獨裁政治を開始しました。同年7月、山岳黨ジャコバン派のロベスピエールが實權を掌握し、恐怖政治を展開します。惡い奴ですね~。

5.1794年7月、反ロベスピエール派によるクーデターがありました。

 以上、長期にわたって、五つの革命を行ったものがフランス大革命です。

 いろいろなものが入り組んでゐるのですが、あちらこちらの我がままが噴出し、無政府状態といふ恐ろしい國が、何十年も續いたのがフランス革命と思っていただければ結構です。今日は、まず、上記の流れを把握してください。

 繰り返します、國家を転覆してよい權利(狂氣)を「國民主権」と云ひます。

 我が國は、権利・義務といふ發想がありませんでした。なんと、大日本帝國憲法には、「主權」といふ言葉がないのです。なぜなら「シラス」といふ國體だからです。

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このページは、宝徳 健が2016年1月25日 09:30に書いたブログ記事です。

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