フランス革命と保守(皇紀弍千六百何十六年四月二十一日 四)

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 この記事は、名著「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義」中公新書 伊東冬美著を参考にしながら書いてゐます。倉山満は、「この本を讀まずして保守を語るな」と云ひます。

 前囘までルソーのことを書きました。

 フランス革命が勃発した時(1789年7月14日)、この本の主人公であるシャトーブリアンは、バスティーユ牢獄を襲撃し、パリの中心街に戻つてきた群衆を目の當たりにしてゐます。「幸福に酔い痴れ、居酒屋にて征服者の意氣をあげたバスティーユの勝利者たち」。

 共和政を實現させるためには、立憲王政といふ予備段階を踏んで王權を後退させる必要があると考へられてゐました。なので、シャトーブリアンは、バスティーユ牢獄襲撃を立憲王政受理巣を促進するのに有効な示威運動運動と考へこれを支持しました。武器こそとりませんでしたが、彼の心理は、武器をとったと同じく昂揚してゐました。。

 しかしながら、このやうに理論上バスティーユ牢獄襲撃事件を支持したにもかかはらず、一週間後、早くも彼は、革命派の人間と自分との間に溝を感じざるを得なくなつたのでした。つづく

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このページは、宝徳 健が2016年4月21日 16:22に書いたブログ記事です。

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