フランス革命と保守(紀元弍千六百七十六年四月二十二日 弍)

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 世で素晴らしいとされてゐる、フランス革命の實情を解説してゐます。安倍さんが、正しい歴史を述べやうとすると「歴史脩正主義」と云はれます。いいじゃないですか。「正しく」「脩める」。正しくしやうとしてゐるのだから。

 他國では、「正しい歴史を知つてゐる、それだけで、殺す十分な理由になる」が原則です。怖いですね~。かつて東洋のはうが榮へてゐたころ、歐州では、東洋のものを輸入しても支拂うお金がありません。なので、奴隷を輸出しました。白人のですよ。なのに、その歴史は完全に抹殺されてゐます。今、それを「脩正」しやうものなら、確實に殺されるでせう。人間とは實に怖いものです。

 シャトーブリアンは、バスティーユ牢獄襲撃事件から一週間で、フランス革命に失望します。
 1789年7月3日、彼は、家の窓から通りを眺めてゐました。彼の目に飛び込んできたのは、陸軍大臣補佐官フーロンの首と、フーロンの娘婿で、パリ知事のベルティエの首とをやりにさして掲げてゐる革命派の人間たちでした。フーロンとベルティは、革命勃発前、軍隊をパリ市外に進軍させ、パリ市民の亂を鎮圧するやうに主張してゐたころから、革命派の人間たちは、この日、この二人を絞首刑いしました。それこ首切り落とし、槍に刺して、槍を掲げてパリ市外を凱旋(?)したのです。

 血の滴る首をみた瞬間、シャトーブリアンの頭に戦慄がよぎります。この溝によつて、彼の共和主義的な立場、革命支持の立場は、以後、徐々に崩れ去ります。

 共和政が素晴らしいといふ考へは否定はしません。ただし、その前提となるのは、すべての國民が賢い(保守の立場で)といふおよそ不可能なことなのです。

 そして、共和政にリーダーが育ちにくいことなど、今のアメリカをみれば明らかです。

 國家の理念(國體)の下、優れたリーダーが育つ組織を創り、そしてそのリーダーを賢い臣民が支えていくことが人間社会の理想です(家族主義)。

 我が國のかつての姿です。ただし、下級武士の叛亂であつた明治維新後、政治をする能力に欠ける彼らは、こともあろうに支那の科擧を模倣した、高等文官試験驗を導入しました(今の國家公務員上級職試驗)。設計主義がはびこり、國を潰してしまひました。

 なぜ武士を廢止したのだらう。悔やまれてなりません。

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このページは、宝徳 健が2016年4月22日 03:34に書いたブログ記事です。

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