我慢(皇紀弐千六百七十六年六月七日)

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 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、我慢です。

 慢とは、「他人と比べて、自分を誇ったり過剰評価して、思い上がる心」を云ひます。家柄、財産、地位、知識、能力、容姿など、比べることの出來る事柄では、何にでも起こりえる煩悩のひとつです。

 また、心の状態で、七つに分けたものを七慢といいます。
慢:まん
 自分より劣つてゐる人に對しては自分が勝つてゐる、とうぬぼれ、同等の人には、自分と等しいと心を髙ぶらせる。

過慢:かまん
 自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等とする。

慢過慢:まんかまん
 勝っている人を見て、自分はさらに勝つてゐる、とうぬぼれる。

我慢:がまん

 自負心が強くて自分に本位

増上慢:ぞうじょうまん

  悟つてゐないのに、悟つたと思ひ、得てゐないのに得たと思ひ、おごり髙ぶる

卑慢:ひまん

 非常に勝れている人を見て、自分は少し劣つてゐると思う。

邪慢:じゃまん

 間違つた行ひをしても、ただしいことをしたと云ひ張り、德が無いのに有ると思ふ

 我慢は普段使つてゐる意味と全く違ひますね。本來は自分を偉いと思ひ、他人を輕んじることです。佛敎では、自分に執着することから、自分を髙く見て他人を輕視する心が生まれる、と考へます。かういふのを朝から書いてゐると、自分が情けなくなります。

 八慢、九慢といふ分類もあるのですが(五慢も)、割愛しますね。

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このページは、宝徳 健が2016年6月 7日 03:23に書いたブログ記事です。

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