御輿屋祭(皇紀弐千六百七十六年六月十三日)

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 週末、いろいろあつたので、十分な仕事が出來ませんでした。今から、やるので明朝は、ブログが書けません。なので、このブログを明日のブログとします。ひとつだけ~。日付も十三日にしています。

 西宮戎神社では、六月に御輿屋祭(おこしやまつり)が開かれます。といふか、私は、平成十年から甲子園近辺に住んでゐて、しばしば西宮神社には行きますが、この祭は、十八年間知りませんでした。情けない。では、西宮神社のホームページを參考に、このお祭りを追つていきませう。
 昔々、西宮鳴尾濱である漁師が沖で漁をしてゐました。すると、網に御神像がかかつりました。「なんだい、魚じゃないんかい(脚色してゐます。すみません)」。漁師は、海に帰しました。鳴尾は、今、私たち家族が住んでゐるところです。西宮神社の5㎞ぐらい東側です。もう少し、東に行くと、尼崎です。武庫川のすぐ西です。

 漁師は、今度は、神戸市の和田岬邊りで網を入れたところ、あらあら、なんと、鳴尾で海に戻したはずなのに、同じ御神像がまたかかるではありませんか。

 畏れ多いことと思ひ、家に持ち歸り祀りました。

 ある晩、「西の方に良き地があるので、そこに移りたい」と御宣託がありまひた。村中総出で、えびす樣の御神像を御輿に乘せて出發しまひた。途中で一休みされたえびす様は、居眠りをされてなかなかお目ざめになりません。


 困つた漁師は、神樣のお尻をひねつて起こし、さらに西へ進み、今の西宮神社の地に落ち着かれたと云はれてゐます。


 一休みされた場所は、古くは四条辻と云ひ、札場筋と國道四十三號線の交差點脇にあり、御輿屋跡地(おこしやあとち)といふさうです。

 六月十四日午後、本社よりえびす樣をここに神輿でお遷しし御輿屋祭りを執り行ひ、 再び御本社へ御帰り戴き、当時の有様を再現する行事を行ひます。


 なんとなんと、元亀二年(一五七一)の『西宮殿年中御神事』の中に「五月十四日晩御戎四条辻御幸」とあり、この時代には既に行われてゐたやうです。

 午後二時、本社において神幸發輿祭が執り行はれ、枇杷(びわ)で飾り付けをした神輿にえびす樣をお乘せし、かつてえびす樣をお祀りした鳴尾の漁師の子孫といわれる裃姿の中野亥之鷹さん、 ビワ籠を手にした浴衣姿のびわ娘、同じく浴衣姿の氏子総代の行列が御輿屋跡地へと向ひます。

 すっげええええええ。


 午後三時、神輿が御輿屋跡地に到着、御輿屋祭りを斎行、神楽の奉納やびわ娘による參拝者へのビワの無料授與などが行はれます。



 この日は故事に習ひ、參拝者が互いのお尻をひねつてもよいという風習があったことから「尻ひねり祭り」とも、 また西宮ではこの日から浴衣を着初める習慣がある、ということで「ゆかた祭り」とも、旬の果物であるビワをお供えするところから「びわ祭り」とも呼ばれてゐます。又、神社境内では午後三時から八時頃まで、縁日屋臺やあそび場コーナー、露店などが出て、浴衣を着て參拝した子供 先着百名には縁日屋臺の無料券が授かります。

 阪神西宮駅、エビスタ西宮では、午後四時半ごろから、びわ娘が特製団扇を先着二百名に配布して、お祭りを盛上げる事になっています。

 知らなかつた~。今年は仕事が入つてゐるので、來年は必ず行きます。

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このページは、宝徳 健が2016年6月12日 21:54に書いたブログ記事です。

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