折角(皇紀弐千六百七十六年六月十四日)

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 今晩から明日にかけてまた仕事をします。だからブログが書けないので、今、書いてゐます。日付も十四日にしてゐます。

 佛敎用語とともに、季節の言葉も紹介してゐます。美しい美しい日本語。こんな言葉を手紙に書いてもよいですね。今日は、「折角(せっかく)」です。
 これつて支那の故事が語源になつてゐるんです。

 二つ説があります。

①折角したのに・・・・
 漢に五鹿(ごろく)の十宗といふ學者がゐました。しかし、この人は高慢だつたので人々から好かれてゐませんでした。そこに朱雲といふ學者が現はれて、充宗と易について議論し、充宗をやつつけてしまひました。それを知つて、充宗のことを普段から快く思つてゐなかつた學者たちが、「よくぞ、高慢な五鹿の(つの)を束にしてへしつてくれた」と朱雲を譽讃へました。このことから、天狗になつてゐる鼻をへし折るのを「折角」といふやうになりました。それがやがて、鹿の固い角を折るには、相當の力が必要だといふ意味が加はり、何か苦心や努力した状況で「折角・・・・したのに」といふやうな使はれかたがされるやうになりました。

②流行
 後漢の郭泰 (かくたい) という人が,外出中に雨にあひ,かぶっていた頭巾が濡れて,その一角が折れてしまひました。しかし,郭泰は人望が厚く多くの人に慕はれてゐたので,その人たちが,それを郭泰のカッコよさと思つてマネをして,わざわざ頭巾の角を折つてかぶりだし,それが流行してしまひました。このことから,何かを 〈わざわざする〉 ことを 「折角」 と言ふようになりました。

 語源や字源は面白ひですね。

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このページは、宝徳 健が2016年6月13日 21:05に書いたブログ記事です。

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