微妙(皇紀弐千六百七十六年六月二十一日)

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 普段、何氣なく使つてゐる言葉が實は、佛敎用語だつたといふものを紹介しています。

 今日は、「微妙」です。

 最近の日本語の亂れは、目も當てられなくなつてゐます。それを「言葉は時代とともに進化する」とか「今は、それが普通」と云ふ人がたくさんゐます。なんと嘆かわしいことか。異常なマジョリティを普通といふ。こんなことが許されてゐたら、我が國八千數百年の歴史は崩壊します。この微妙も、若い女性が「ビミョー」と叫ぶ姿が見受けられます。目を背けたくなります。

 微妙は佛敎用語では「みみょう」と云ひます。
 普段は、「物事の状態や関係が複雑で割り切れない場合」に使ふ言葉ですね。今日では、英語でいふところのデリケートのやうな使ひ方もされてゐます。

 佛敎では、「言葉では言い尽くせない不思議で奥深い意味合い」を表す語として用ひます。

 佛敎經典には人間の知識では知ることのできない不思議さを表す語として「微妙」が多 く用いられます。

 もと絶賛の辞であった「微妙」が、やがて負の意味を含む「ビミョー」に變化しました。佛敎では、至上の價値を示す「微妙」を「ビミョー」というのは、若者の皮肉か、心の優しさか。日本語は微妙ですね(笑)。

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このページは、宝徳 健が2016年6月21日 02:12に書いたブログ記事です。

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