負けるが勝ち(皇紀弐千六百七十六年七月五日)

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 なんで突然こんな記事を書き始めたんだろうと思つてゐる方々がたくさんゐると思ひます。

 人間は、一人では生きていけません。相手がありま。でも、その相手は、自分に都合のよい人ではありません。その中で生きていくと云ふ悲しい存在が人間なのです。では、その自分に都合が惡い人間とどのように接していつたらいいか。残念ながら自分の利益をマックスにする生き方は相手が存在する以上不可能なのです。この事實をしっかりと把握し、その中でも、自分の利益を確保する方法をみなさんと一緒に考えやうとしてゐます。

 マネジメントの世界でも、自分の云ふことを聞かせやうとして、相手に對して10勝0敗をしかける上司がたくさんゐます。結果として、0勝10敗(一時的には上司の権力で云ふことを聞かせたとしても)。そして云ひます。「あいつは人の云ふことを聞かない」「あいつはわかっていない」。まるで立ち位置がわかってゐません。

 垂直思考で物事を考えては、人を動かすことなんでできません。不都合、不合理、鬱陶しさ、不条理を乘りきることなんてできません。水平思考が大切なんです。この水平思考が、リーダーに不可欠な要素「アウフヘーベン」を創つていきます。

 では、前囘の答えを云ひますね。
 晏嬰は、云ひました。「ほ~、楚の國は、人間の國かと思つてゐたら、なんと、犬の國だつたのか。いいでせう。なら、私は犬の門から入りませう」

 かう云はれてしまふと、楚の人間は、晏嬰を犬の門から入れることはできません。安寧は、堂々と普通の門から入っていきました。

 そして、楚王の前に出ました。すると、
そこへまた、楚の国のおまわりが、泥棒を捕まえてやってきました

これも斉の晏嬰に恥をかかせるために捕まえた泥棒です。

 王様は得意気な顔でそのおまわりに「その男はどうしたのか」と訊きました。すると、おまわりは、「この男は斉の国の人間ですが、泥棒を働きました。ですから捕まえました」と答えました。つまり、斉の国から使いに来た晏嬰の前に、斉の国の人間を泥棒として連れてきたのです。晏嬰に恥をかかせようとして。あなたならどうしますか?

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このページは、宝徳 健が2016年7月 5日 10:20に書いたブログ記事です。

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