負けるが勝ち(皇紀弐千六百七十六年七月五日 參)

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 支那古代に「戰國策」といふ本があります。ドキュメントとでも云ふのでせうか。支那古典には、口先だけで實現など考へてゐないものが多いのです。論語など、その代表的なものでせ。では、價値がないかといふとさうではなく、もし、實現したらですごいものばかりです。支那ではそれは、無理でしたが、我が國 日本で、日本人がそれを實現しやうとし、そして、この素晴らしい國を創つてしまひました。支那人は、くやしくて仕方がありません。

 その古典の中でも、四書五經は、春秋と易經は素晴らしい。易經は、天地のなりはいを見事に説明してゐます。春秋は、ドキュメントなのでこれまた面白い。文藝春秋は、この「春秋」から名前をとつてゐますが、最近の文藝春秋は、名前を變へたはうがいい。

 さて、戰國策も、春秋と同じでドキュメントです。戰國時代に、人間が知恵の限りを盡して、生き残つた物語です。

 交渉は、自分の都合で自分の利益をマックスにしやうとした瞬間に、最少どころかマイナスの結果になることが多いのです。この自分の利益をマックスにしやうとする考へ方を垂直思考と云ひます。勝つのではなく、どうやつたら負けないかを考える、「ミニ・マックス」の考へ方(これを水平思考と云ひます)を身に着けることが大切です。

 戰國策は、まさにこの水平思考の物語ばかり。だから読んでゐて面白い。昨日の答えです。
安「おお、この人間ならよく知つてゐます。斉の國では、勤勉で實直でみんなから信頼を得ておりました」

王「ほー、では、なぜ楚の國に来たら惡いことをするのだ」

安「この男が・・・・。斉の國でどんなに素晴らしい男でも、楚の國に来たら、惡ひことをするのですね。楚の國とは善人を惡人にする國なのですね」

 楚王と重臣たちは返す言葉がありませんでした。

 さて、この二つの話し。かわいさうなのは、いじめられた晏嬰なのでせうか?考へてみてください。

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このページは、宝徳 健が2016年7月 6日 08:11に書いたブログ記事です。

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