見返りを求めない心(皇紀弐千六百七十六年七月十六日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 「何々をしてあげてゐる」といふ言葉をよく聞きます。これが發展すると「何々をしてあげたのに」となります。このことに相手が應へてくれないと「せつかくやつてあげたのに」となります。ポケモンのやうに進化すると「せつかくやつてあげたのに、あの人は何で・・・・」となります。

 これつて、自己満足ですよね??? 満足と幸せの違いを近い過去に書きました。満足とは、今の自分の日常が満たされる、いや、不快感を感じないレベルであれば自分が納得するものです。つまり、自己満足です。

 マネジメント現場でも上司が部下に「何度も言つたのに」と云ふ言葉をよく使ひます。これは、上司の自己満足表現です。部下の成長や部下の自己実現のための言葉ではありません。「俺の満足を、お前、満たせよ!」と叫んでゐる上司の言葉です。
 つまり、見返りを要求してゐる言葉なのですね。多くの上司の言葉は、この上司自身の自己満足を満たす「見返りを求める言葉」が多いのです。といふか、多くが。

 「社員は危機感を感じてゐない」と云ふ言葉も、多くの經營者から聞きます。その危機を作つたのは、誰ですか? 經營者ですよね(笑)。「危機感を持て」と云はれたら、社員の頭には一億個の?マークが飛び交ふでせう。

 上司とは樂をするからしんどくなる。「お前らやもつと感性をもて」「なぜ、もつと考へない」と云ひながら、自分の価値觀や意見を部下の話してゐることを遮りながら、講演會のやうに滔々と話し始める上司がほとんどです。誰も聞いてゐませんし(聞くふりはしているが)、會議室を出た瞬間に、部下は上司の話したことをすべて忘れます。だつて、上司の自己満足なんですもの。そんなことのために仕事をしたくないですよね。

 すべての企業で最も重要なのは。組織創りです。企業だけではありません。クラブ活動、スポーツチーム、趣味の世界・・・・。

 なのに、すぐにシステムやノウハウを導入しやうとします。つまり、自分が求めたい見返り(リターン)が自己満足のレベルで實現するやうに。そして、10勝0敗を求めたいと幻想をいだいた上司の満足のために。

 古今東西、偉人と云はれた方、そして、經營者として尊敬される方々は、すべてこれまで述べた感覺をうちぶつてゐます。つまり、自己満足の見返りを求めず、社員の達成と自己實現に手中しながら。

 だから日本の企業は持續と永續が可能になつたのです。決して手法論やノウハウが主ではありません(従であることは間違いありませんが)。

 企業再生の仕事をしてゐると、そのほとんどが、組織開発(組織創りではない)です。つまり、上に行けば行くほどの「自己満足の償却」でし。

 繰り返します。自己満足とは、その人だけのストレスの解消でしかないのです。

 難しくなりましたね。簡單に云ひます。

自分が話す前によく相手が言ひたい心の言葉を聞こうね

 これが我が國の國體だつたのです。

 えっ?宝徳、お前できてるのかつて?

 できてまへんがな。かうやつてブログに書くことで、毎日毎日、自分の小ささを確認してゐるだけです。今、できるのではなく、ずつと目指せるやうに。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6415

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年7月15日 23:51に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「レベルが低すぎる(皇紀弐千六百七十六年七月十六日)」です。

次のブログ記事は「選擇(皇紀弐千六百七十六年七月十六日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。