肘傘雨(皇紀弐千六百七十六年八月十七日 弍)

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 一昨日の敗戰屈辱日にはあへてブログを書きませんでした。戰爭で敗けたことを、「記念」する國がどこにあるでせうか。毎年、敗戰屈辱日には、昭和天皇の玉音放送を掲載していました。興味のある方は、アーカイブで檢索してください。

 季節の美しい言葉を時々、紹介してゐます。今日は「肘傘雨」です。「ひじかさあめ」と讀みます。
 突然の雨に出くはし、雨宿りをする場所もなく、肘を頭の上にかざして駆けだした經驗はありませんか? う~ん、今は、いたるところにコンビニがあるので、そんな經驗は少ないかも。

 でも、さういふ、にはか雨のことを、「肘傘雨」と呼びます。昔の日本人は言葉づくりの天才ですね。

 この肘傘雨は、源氏物語にも言葉として出て來るのですよ。

 須磨源氏のところです。須磨に來て一年がすぎた上巳の節句(桃の節句)のことです。光源氏は、配流の軆といふ穢れを祓うべく、海邊に出て幔幕を張り祓をすることにましした。空は雲一つないまことに良き日で、海もうらうらと凪いでゐました。

  ところが、源氏が、

八百(やほ)よろづ 神もあはれと 思ふらむ 犯せる罪のそ れとなければ
(八百万の神も私のことを憐れんでくれるだろう。なぜなら私にはこれといって犯した罪もないのだから)

という歌を朗々と詠み上げると、天俄かに搔き曇り、激しい風が吹きすさび、雨も「肘傘雨(傘も間に合わないほどにの降り」となって降り注いできました。そのうちに雷まで鳴り始る。祓どころではなくなってしまい、みなばらばらと屋敷に駆け戻りました。

 源氏物語を書くと、止まらなくなるので、この邊で(笑)。

 でも、我が國は素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2016年8月17日 08:19に書いたブログ記事です。

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