世界史と古事記(皇紀弍千六百七十六年四月三十日 弍)

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 先日は、縄文時代には對人用の武器がなかつたことを述べました。さうです、我が古代日本には、爭ひごとがなかつたのです。

 古事記でも、天照大御神と素戔嗚命が「うけひ」をしたぐらいしか書いてありません。

 でも、いつの間にか、高天原の人間が書かれなくなつてゐるのです。徐々に大国主命へと移り變つていきます。
 恐らく、大陸の匈奴あたりが我が國に侵入してきたのでせう。そして、平和だつた我が國もその平和を守るために戰ははなくてはならなくなりました。

 なので、天皇家は一時安全な所に身を引いて、研究に研究を重ね「武」を整えていつたのでせう。

 ちなみに、我が國では「武」は「戈(ほこ)」「を」「止める」といふ意味で、武を持つことは爭ひを避けるととらへます。支那では「戈」「で」「止める」といふ意味です。つまり、相手をやつけて爭ひをしなくてよくするといふことです。全く違ひますね。

 まだ大国主命は高天原系だつたので、彼にその「武」を與へたのが、大国主命が素戔嗚命に武器をもらひにいく話です。あの兄弟たちは、きつと匈奴だつたのでせう。

 匈奴の人間たちは、「武」「で」「止め」、そして「ウシハク」といふ支配形態をとります。ウシハクといふのは、支配者が土地も人間も食べ物も財産もすべて自分のもにしてしまふ、歐米や支那や朝鮮の支配形態です。

 我が國は、天皇家が「シラス」といふ統治形態(支配形態ではない)をとりました。これが我が國の國體であることは永遠に變はりません。シラスとは、何か。以前、士魂商才に書いた記事を掲載します。この言葉を知らない人は、國籍だけが日本人です。

 おつと、次囘は、そんな大国主命も結局ウシハクをしてしまひました。だから・・・・、といふあたりから書きます。


【第七十六號:シラスとウシハク】

 いつも士魂商才をお讀みいただき感謝申し上げます。「士魂商才(しこんしょうさい)」第七十六號です。タイトルは「シラスとウシハク」です。

 「シラス」「ウシハク」は、我が國臣民であれば必ず知る必要がある言葉です。詳細は今月號の「古事記と生きる」で解説します。

 古事記に「天照大御神・髙木神の命もちて、使はせり。汝(な)の頷(うしは)ける葦原中國(あしはらなかつくに)は我が御子(あがみこ)の知らす國ぞ、と言依(ことよ)さし賜ひき。故、汝(いまし)の心はいかに」とあります。

 建御雷命(たけみかづちのみこと)が、大國主命(おおくにぬしのみこと)へ迫つた國譲りの話は有名です。その時の言葉です。

 「汝の頷ける國」とは、「大國主命のウシハケル國」です。これと、「我が御子のシラス國」。この違いを知らなければ日本人ではありません。我が國國體の根本原理だからです。

 大國主命は、苦労に苦労を重ねて、やうやく國の主となりました。しかしその治め方はしょせん「ウシハク」でしかありませんでした。それを天上から觀た天照大御神は、「これは我が國の統治方法「シラス」ではない」とお考えになり「國を譲り」を考えました。

「ウシハク」とは「主人(うし)」が「佩く(はく:身に着ける、所有する)」で、主人が自分の物にするといふ意味です。つまり、歐州や支那で行われていた支配形態です。これを天照大御神は完全に否定しました。

 「シラス」は「シラシメス」「シロシメス」「シメラフ」などに變化(変化)します。「シメラフ」を漢字で書くと「統(し)めらふ」です。意味は、「知らす」です。情報の共有、つまりインテリジェンスです。「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して國造りをするといふ考へ方です。その中心となるのが、「シメラフ」の存在、つまり、「統(す)めみらのみこと」です。ですから天皇陛下のことを「スメミラノミコト」と云ひます。 

 これは神武天皇が我が國を統治する数千年前からの我が國の國體(国体)であり、世界で我が國でしかできなかつたことです。さうです、我が國の皇室の歴史はたかだか弐千六百七十四年などではなく、果てしなく永いのです。それが考古學上も證明されてゐます。

 私の人生の唯一の目的は、「立派な日本人になること」です。そのために、樣々な學習を重ねています。

 我が祖國が素晴らしいと云ふことはわかつてゐました。でも、學べば學ぶほど、「これほどまでに素晴らしいとは思ひもしなつた」と、驚愕してしまひます。

 十九世紀までずつと「ウシハク」という支配形態しか知らなかつた世界中の國々の中で、唯一我が國のみが、はるか太古から「シラス」國を築いてきました。

 萬民が天皇の臣民となることは、政治權力者も天皇の臣民の一人でしかありません。その政治權力者が當(当)たる民は、すべて天皇の臣民です。從つて、誰一人として、權力者の私有民にはなりません。當たり前の話に聞こえるかもしれませんが、「私有民」と云ふのが、歐米でも支那でも他國では常識だつたことを考へると、奇跡としか云へません。

 私有民でないと云ふことは、ひとり一人が人間として扱はれます。人としての尊厳が守られ自立していることを意味します。

 それが「統(す)めみらのみこと」の存在する我が「シラス」國の國體です。

 マッカーサーの落書きから始まつた、憲法と云ふ名の文章でしかない日本國憲法は、この國體を全くあらはしてゐません。

 我が國臣民が何をなすべきか。それは眞實を知れば明らかなのです。

 せつかく世界で唯一續いて來たことを、たつた一度戰爭に敗けただけで、わざわざ、臣民が愚かになり、斷絶させることはあまりにも殘念です。

 私達、大人の自覺が必要です。もうそろそろ目を覺ましませう。

 今月號もお樂しみください。

                                                                感謝合掌

皇紀弐千六百七十四年六月吉日

株式會社 經營戰略室

代表取締役 寳德 健


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このページは、宝徳 健が2016年4月30日 06:26に書いたブログ記事です。

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