南無大師遍照金剛(皇紀弐千六百七十六年七月十七日)

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 何年前だつたか、母の法要をやつたときのことです。我が家は淨土眞宗です。

 お經が終はり、和尚さんの説法が始まります。和尚さんの後ろには大きな額がありました。そこには「見眞大師」と書かれてありました。なんだらうと思ひ、「見眞大師」とはどなたのことですか?と尋ねました。あまり、質問などする人はゐないのでせう。和尚さんは、少しむっとした顔で答えました。「弘法大師」「傳敎大師」とあるやうに、朝廷から德の髙いお坊さんには大師の彌號が與へられるのです」。

 和尚さんは、しかえしに、隣に座つてゐた、私の息子(當時七歳ぐらい)に、「では、僕、淨土眞宗の佛樣は誰だい?」と質問しました。息子は「阿弥陀如來」と答へました。

 昨日、親しい方のお母樣のお通夜に參列しました。
 そこには「南無大師遍照金剛」と書かれてありました。眞言宗です。密敎のお通夜は初めてです。

 「南無」とは、サンスクリット語で「ナマス・テー」がなまり漢字を充てたものです。歸命(きみょう)、敬禮(けいれい)の意味で、心の底から全軆全霊で佛樣を信じることです。

 弘法大師空海に帰依するという意味です。遍照金剛の名號は、空海が唐に留額し、眞言密教を極めた時の灌頂名です。 「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまの砕けることなき智慧の持ち主」という意味があり大日如來(眞言密教の佛樣)の別名でもあります。

 ご冥福を心からお祷り申し上げます。

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このページは、宝徳 健が2016年7月17日 06:10に書いたブログ記事です。

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