自分に取り組む(皇紀弐千六百七十六年七月十七日 弍)

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 以前、大阪府中小企業診斷協會の要請で、資格を取り立ての若い診斷士さんたちに話す機會がありました。獨立支援セミナーといふ名前でした。壓倒的に多かったのが「どうやつたら仕事が取れるのですか」といふ質問でした。
 仕事は、いくらでもあるのです。「仕事がどうやったら取れるか」ではなく「數ある仕事がなぜ自分のところにこないのか」といふ表現が適切です。マインドフルネスですね。「私は、今、仕事を取る力がない」と立ち位置をしつかりと見つめることが大切です(マインドフルネスは近々、シリーズで書きます)。

 私のブログの記事を讀んで、「ノウハウや手法が嫌いなのかなあ」と考える讀者の方もいらっしゃると思ひます。さうではありません。ノウハウや手法は絶對に強力に必要です。でも、それは從として。

 主は、「仕事の成功とは、自分がそれにふさはしい人間になることで引き寄せるもの」と云ひたいだけです。

 何のことだと思はれるかもしれません。

 「仕事に取り組んでゐる人」はたくさんゐるのですが、「自分に取り組んでゐる人」が少ないと云ひたいのです。業績は絶對に大切です。さうでないと、企業も社員も飯を食つていけません。ノウハウや手法も絶對に必要です。強力に。でも、それを運用する人間は誰で、その人は、人に受け入れられる人間なのかといふことです。

 「私は、今、今の二倍、三倍、四倍、五倍の収入に値する人間だらうか」と自問自答してみてください。「いや~、それはないだらう」と思ふでせう。

 さう思つたら、自分に取り組むしかないのです(仕事に取り組むのは當たり前のこと)。自分の態度や性格、言葉の改善、スキルの習得に取り組むことです。さうすれば、よい仕事や人々を引き寄せ、經濟的にも自立していくでせう。

 企業においても、もちろん、仕事に取り組んでもらうのは當たり前ですが、社員が自發的に、自分に取り組んでいく環境整備が必要です。人事考課をいくらやつても、この發想がないと、人事考課はただの「査定」になつてしまひ、「給料が髙い低い」といふ些末な意見が出てきてしまひます。

 我が國が、なぜ世界で唯一歴史が神話の時代から、連續・經續したか。それは、天皇陛下を中心とした家族主義で、それぞれが一隅を照らす使命を果たすといふ「自分への取り組み」をしてきたからです。

 なんて、偉さうなことを書きました。今上天皇陛下の今囘の動かれかたは、天皇家といふお家の事情を切り口に、臣民に「本來の我が國に戻らうよ」と仰つてゐることに、臣民が氣づく必要があります。

 私は、今、近年になく、活性化してゐます。それに自分自軆が、氣づいてゐます。

 ノウハウや手法をさらに企業の皆さんと活かすために、そして、中小企業の業績改善のために、私自軆が、誰よりも何よりも「自分に取り組む」こととします。

 日本人に生まれてよかつた。

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このページは、宝徳 健が2016年7月17日 06:25に書いたブログ記事です。

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