フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年七月二十九日)

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 あの倉山満をして「この本を讀まずして保守を語るな」と言はしめる本「フランス大革命に抗して シャトーブリアンとロマン主義 伊東冬美著」を解説してゐます。今でも、多くのフランス人が、あの革命を心から悔やんでゐます。なのに、我が國は、「國民主權」といふ愚かな概念を賛辞します。

 ヴァレンヌ事件といふ、ルイ十六世一家が逃亡途中で民衆につかまつた事件が起き、革命に失望したシャトーブリアンは、逃避先のアメリカから母國フランスに歸國します。
 シャトーブリアンの乘つた船は、1792年1月2日、フランスのル・アーブル港につきました。

 憲法制定國民會議は、その前の年から、ヴァレンヌ事件について審議を開始しました。共和派の、ペティヨン、ロベスピエールなどは、絶對王政であらうが、立憲王政であらうが、とにかく王政を廢止することを主張しました。

 バレンヌ事件は、彼らの革命を推進するための格好の材料を與へたのでした。

 一方で、立憲王政派のバルナーブは、共和派に對抗して、ルイ十六世を擁護し、立憲王政と云ふ形で
の王政の存続を主張しました。王政を廢止すれが、これまで議論してきた憲法の条文や決議された憲法上の制度が無効になり、無政府状態が生じるからです。バルナーブは、無政府状態を囘避ためには王政の存続が必要だと訴へました。議會は賛意を示しました。

 1971年9月3日、議會は、憲法制定作業を完了します。9月13日、ルイ十六世が憲法を承認し、立憲王政が成立しました。

 9月30日に議會が解散します。翌10月1日、立法議會が成立します。

 さて、この議會から、共和派が急速に力をつけていきます。

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このページは、宝徳 健が2016年7月29日 11:19に書いたブログ記事です。

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