喧嘩の仕方(皇紀弐千六百七十六年七月三十日)

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 今日は、明治天皇崩御104年です。偉大なる大帝を偲びます。

 明治の政治家は、みんな元武士でした。だから喧嘩の仕方がうまい。

 正義は、いつも喧嘩の強い奴に敗けてゐます。昔の我が國は、正義&喧嘩が強い稀有な國でした。でも、敗戰後、妙にいい子ちゃんになつてしまひました。

 どんなに正義を語つても、喧嘩が弱ければ何にもなりません。良い人だけど弱い人になり、他人は、云ふ事を聞きません。德川慶喜などが代表例です。あんなにクレバーな人が、喧嘩の仕方を知らないので、不遇な人生を送りました。

 逆に、惡人で喧嘩が強い人間が勝利者になつた例のはうが、世界史には多い。レーニン、スターリン、毛沢東、チャーチル・・・・・。彼らがどれだけひどい影響を世界に與へたか。
 左翼はみんな喧嘩が上手です。惡を「正當」と認めさせるのですから。左翼は、惡いことをして、保守に批判させます。さうすると、それが話題になります。たとへば、「保育園落ちた。日本死ね」などはその典型例です。あれを話題にすることで、海外では「ああ、日本は子育てがしにくい國なんだなあ」と思はれます。

 共産黨は、シールズを使つて、日本は危險な國だといふことを喧伝しました。
 
 だから、左翼の言つてゐることは、話題にもしないはうがいいのです。

 左翼を批判しても、我が國はよくなりません。議論にも値しないことは放つておいて、我が國がどうしたらよくなるかを議論しませう。似非保守には、左翼から頼まれて、あへて、左翼を批判して話題作りをしてゐる人がたくさんゐます。

 とにかく、左翼は喧嘩が上手です。譽めてゐるわけではありません。

 日本の心を大切にする黨は、今、我が國で最も大切な黨です。でも、喧嘩の仕方がへたくそです。

 先の大戰の敗戰の戰犯は明らかに二人です。近衛文麿と山本五十六です。山本五十六なんて、アメリカのスパイかと思はれるやうな、へたくそな作戰を展開してゐます。なんでわざわざ、何千㎞も離れたミッドウェイ、ガナルカダル、ソロモンに行かなければいけないのか。もつと云へば、眞珠湾もさうです。

 そして、戰力の逐次投入といふ、喧嘩において、最もやつてはいけないことをやつてしまひました。戰爭とは、一氣全力投入殲滅なんです(やるのであれば)。

 金融政策の詳しいことは後日に譲りますが、今の日銀もさうです。官僚議論が横行して、戰力の逐次投入をしてゐます。今の、經濟政策は、まさに戰爭です。こんなことをやつてゐたら、喜ぶのは支那だけです。

 明治大帝が泣いていらっしゃいます。

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このページは、宝徳 健が2016年7月30日 05:23に書いたブログ記事です。

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