公地公民(皇紀弐千六百七十六年七月三十日 弍)

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 最近、NHKの朝ドラが人氣を博してゐます。でも、戰爭のシーンとなると毎囘お決まりです。戦争をやりたくないのは誰でも一緒です。あの世界指折りの殘酷場所(國家ではない)、支那でさへ、孫子が「兵は詭道なり(戰爭はなるべくやるな。騙し合ひだ)」と云つてゐます。戰爭をやると國力が著しく低下します。

 でも、やらなければならない時もあります。それが日清、日露でした。元寇でした。元寇のときに、「ああ、元さん、どうぞどうぞ」と云へばよかつたのですか?稀代の政治家、北条時宗がいなかつたら、どうなつてゐたか・・・。

 戰爭は勝たなくてはなりません。勝つ見込みがないときは絶對にやつてはならない。今、戰中派がよく「戰爭の記憶」と云ひます。そして、朝ドラをはじめとしたメディアでそれを臣民に刷り込みます。戰爭の記憶ではありません。敗戰の記憶です。

 まあ、占領軍のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに乘せられた戰中派は、我が國の歴史をガタガタにします。あの素晴らしかつた江戸時代もぼろくそに云ひます。昔の歴史はみんな惡だつたさうです(笑)。
 冗談ではありません。

 中學の時に、「公地公民」といふ言葉を習ひましたね。「ふ~ん」といふ感じでこの言葉をとらへてゐる人が多いのではないでせうか?

 土地も民もみんな公のものだといふこの言葉の意味はとても重要なのです。世界最古の國の我が國で、どんな時代になつても、變はらないことがひとつあります。「天皇」といふ存在です。

 だから、我が國は、天皇を中心とした體制を持つ國なのです。

 歐米や支那では、公地公民といふ言葉はありません。あつても彼等には意味が解らないでせう。

 私地私民です(こんな言葉は二本にはありませんが)。

 私とは「禾」「ム」です。禾は、穀物です。ムは、腕を曲げた状態です。つまり、穀物を自分だけの元に肘をまげて取り込むといふ意味です。公は、その肘を屋根の下に置いて、みんなで分け合はうといふ意味です。

 歐米や支那では、土地も物も民もすべて、一部の貴族の「所有物」でした。人間は家畜と同じだつたのです。だから殺さうが、何をしやうが、所有者の自由でした。この邊がわからないと、歐米や支那の歴史を理解することはできません。

 でも、我が國では違ひました。民は、天皇陛下の「大御寳(おほみたから)」でした。

 一時、荘園が貴族等の私有地になりましたが、民だけは、有史以來「つねに公民」でした。それを公地に戻したのが源頼朝だつたのです。だから彼は偉大なのです。

 あのくだらない學校敎育でも、かういふ風に檢證していけば、眞理・眞實・事實を知ることができます。天子樣の最後のしつけにかなふ臣民となりませう。

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このページは、宝徳 健が2016年7月30日 05:40に書いたブログ記事です。

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