フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年八月一日 參)

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 共和國が民主主義だと思つてゐる方がたくさんゐます。共和國は指導者を否定する國です。だから指導者を廢するために特權がほしい人間たちが、革命を起こします。フランス革命しかり、アメリカ合衆國。。。支那やロシアは云ふまでもありません。

 共和國では、大統領の權限を著しく抑へます。指導者がほしくないからです。アメリカ大統領は世界最弱の地位にあります。こんな事實を、メディアは傳へませんけどね。といふか、不勉強で知らないのだと思ひます。まあ、知つても書く度胸、度量、器量は、メディアにはありませんが。

 さて、フランスにおける議會で、最初は、立憲王政派が主導権を握つてゐました。しかし、ヴァレンヌ事件をめぐる審議がはじまると、共和派が急速に發言力を髙めました。
 議席數が少なかつたものの、共和派は、フランス革命を前進させていきます。

 秩序も何もあつたものではありません。議會で力を握り特權階級にのしあがりたい人間が、領主の館を破壊したり、そこから略奪したりしたのです。こんなことを庶民はやりません。結局、革命といふのは、一部の人間が甘い汁を吸いたいがための手段でしかないのです。

 それを、フランス革命は素晴らしいとか、國民主權はすばらしいとかほざく人のなんと多いことか。まあ、過去、朝日新聞が「北朝鮮は地上の樂園」とキャンペーンを展開し、ほとんどの日本人がだまされてゐましたが・・・。朝日がやらうとしてゐるのは、まさに、こんな國家破壊なのです。

 シャトーブリアンは、そんな祖國を救はうと、歸國し、そして、貴族軍の一兵士となつて戰はふ決意をしたのでした。

 フランス革命當時、フランスから國外に亡命した人間(亡命貴族)は、なんと30萬人でした。當時のフランスの人口が約2,500萬人ですから、なんと、80人に1人の割合で亡命したことになります。

 30萬にんのうち、第一身分の僧族が3萬人です。第二身分の帰属と家族が12萬人です。でも、当時僧族と貴族の人口は、合計38慢人でした。人口の1.5%しかいませんでした。それに、38萬人の多くが狂氣の革命で処刑されていたことを考へると、實に多くの帰属が亡命したことがわかります。

 殘りの15萬人は第三身分のブルジョワです。まあ、亡命の費用を工面しなければならないのでさうなんでせう。彼らは、第三身分にまで処刑の危險が 及んだときに逃げ出しました。

 海外の王族は國に危險が迫るとよく海外に逃げ出します。日本人には、わからない感覺です。我が皇室は、我が國に危険が及ぶとき、眞っ先に、後続を派遣してきました。違ひますよね~。

 フランス革命のときも、王弟アルトワ伯爵が眞っ先に亡命しました。つづく

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このページは、宝徳 健が2016年8月 1日 06:42に書いたブログ記事です。

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