十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年十一月五日 弐)

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 繰り返し述べますが、江戸時代の寺子屋は、讀みが、支那の古典と十七条憲法と貞永式目です。書きはまあ、それらを書くとして、そろばんは、塵劫記(じんこき)です。庶民の家に、髙等數學の本、塵劫記が必ず一冊ありました。神社で、難しい髙等數學の問題が掲示されます。人々は競つてその問題を解きます。それでをはらずに、自分で作つた問題をさらに掲示し解きあひます。

 ペリーが日本に來たときに、庶民が新聞を讀んでゐるのを見てびつくりしたさうです。歐米では貴族の人間でも文字を讀めない人がたくさんゐました。

 ああ、私たちはなんでここまで退化してしまつたのでせうか。

 十七条憲法で自然道で生きる日本人の在り方を學び、貞永式目で生きるルールを学ぶ。いいですね~。

 今日は、十一条の条文だけです。
 十一に曰はく、功過を明らかに察(み)て、賞罰かならず當てよ。このごろ賞は功においてせず、罰は罪においてせず。事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。

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このページは、宝徳 健が2016年11月 5日 07:28に書いたブログ記事です。

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