しじみ(皇紀弐千六百七十六年十二月二十二日 弐)

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 私は、實は、生まれたのは大阪です。豐中で生まれ、物心つかないうちに枚方(牧野)に引っ越しました。まだ田園風景の街でした。小學校は、あるいて30分ぐらいかかりました。殿山第一小學校です。小學校三年生の一學期までそこにいて、父の仕事の都合で、静岡県駿東郡裾野町(現裾野市)に引っ越しました。裾野東小學校です。この小學校は、田舎なのに、素晴らしい先生がいて、素晴らしい教育(このころはまだ日本人教育だつた)がなされ、とてもかしこい生徒がたくさんいて、さらに、ほとんどの生徒の運動能力が髙かつた。

 やはり、毎日富士山を眺め、わき水を飲み、自然とたはむれるといふ、情緒ある子供時代をすごすことは、とても大切なのですね。たつた弐年半ですが、私の人生の礎のひとつになつてゐます。
 その後福岡に引っ越しました。「ご出身は?」と聞かれると、青少年時代を一番長く過ごした福岡を挙げますが、實は、根無し草です。本籍なんか、住んだことはないけど福井県丹生郡越前町玉川です。

 小學校低学年時代を過ごした、大阪府枚方市牧野は、まだ田舎でした。ザリガニ釣りもしました。ため池の水が放流されるときは、田のあぜ道に行き、流れてくる大きな魚を必死で捕まえました。側溝に、ウシガエルがはまり込んで、近所の人たちと両親が、ウシガエルと格闘し、捕まえました。あれどうしたんだらう?食べたのかなあ?

 餘談ですが、近くに大阪歯科大と関西医大があります。母が「ここがシカ大だよ」「ここがイカ大」だよと教えてくれたとき、本氣で「烏賊と鹿が大學に行くんだ~」と思ひました((笑:幼稚園のころ・・・?)。

 そして、この記事のタイトル「しじみ」。今、人に「當時は、近くの川でしじみが採れたんだ」といふと「うそでしょ~」となります。 でも、本當に採れたんです。子供が、シジミと採りにいつて、溺れて死んだことも一度や弐度ではありません。いまだつたら、「行政は何をやつてゐる」となりますが、當時は、自分の責任を行政に押し付ける考へ方はありませんでした。

 「しじみは、本當にとれたのかな・・・・」と、私も自信がなくなつていたのですが、一昨日の讀賣新聞の夕刊に、私の記憶を証明する記事がありました。

 「寒いほどうまいしじみ」といふタイトルで、淀川がきれいになつてゐるので、その周辺で、ハゼ、ウナギ、しじみが採れるやうになつたどころか、ブランド化されてゐるやうです。

 さういへば、ウナギの思ひ出も。私はまだ小さかつたから、できませんでしがた、近所のお兄ちゃんたちが、あのごみを挟む鉄製のものの先をぎざぎざに加工し、川の中の草むらや土管の中にそれを入れて、ウナギを獲ってゐました。

 ああ、なつかしいなあ。

ハゼやウナギ しじみももどる 淀川と 子どのころに 思ひをはせる

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このページは、宝徳 健が2016年12月22日 06:09に書いたブログ記事です。

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