源氏物語 39(皇紀弐千六百七十六年十一月二十六日 參)

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 第七帖 紅葉賀(もみぢが)を超譯してゐます。

 朱雀院で行はれる宴會のために、事前に豫行演習が行はれました。そこでの光源氏のパフォーマンスが、あまりにも見事なので、帝をはじめ、観るものは感動の涙を流しました。

 ただひとり、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)だけが、「神樣が聞いて神隱しにするわよ。ああ、氣持ち惡い」とけちえをつけます。
 光源氏は、帝の子です。でも、女性たちのすさまじい嫉妬にあうことから、帝は、光源氏を臣籍降下させます。なので、光源氏には、後ろ盾があまりありません。實力でのし上がつていくしかありません。正妻の葵の上は、左大臣家です。これが唯一といつてよい光源氏の後ろ盾です。

 弘徽殿女御は、右大臣家です。左大臣家と右大臣家は當然、政敵です。さういふことも弘徽殿女御が、光源氏を毛嫌いする理由のひとつでした。いずれこれがとても面白い事件に發展するのですが(笑)。

 今日は、ここでひとつ餘談です。我が國の在り方にも關係するとても大切な餘談です。

 我が國では、右大臣よりも左大臣のはうが位が上です。他國では、左よりも右が優先するため、位などでも、右が優先します。私は左が右に優先した例を我が國以外に知りません。

 なぜか。

 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、黄泉の國の伊弉冉尊(いざなみのみこと)のところから、逃れた際に禊をします。

 左目を洗つたときに、天照大御神が生まれます。右目を洗つたら、月読命、鼻を洗つたときに、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が生まれます。

 ご存知の通り、太陽神 天照大御神が、我が國皇祖の始まりです。

 なぜ、その最高神が、左目を洗つたときに生まれ、そして、女性なのか。

 人間は、右手に武器を持ちます。左利きでない以上、右手のはうが、左手よりも力が強い。力は人を制壓します。心までも。 つまりウシハクの支配形態です。

 ともすれば、ウシハクの 人も土地も作物もなにもかもを支配者の所有物とするウシハクの支配形態をとりがちです。慾があるので。皇室は古代からこのことととことん戰つてきました。皇室の歴史はウシハクを否定し、シラスといふ人間社會の理想を築き上げることがすべてであつたと言つても過言ではありません。すさまじい戰ひです。肉体的といふよりも精神的な戰ひです。

 我が國は、歴史上、武力を使ふときは、古代から大東亞戰爭まで、ウシハクを打ち破るためだけでした。普段は、平和を愛する國です。縄文時代には、對人用の武器は發見されてゐません。おそらく、大陸に大勢力が生じ、それに對抗するために武器ができ、それが、彌生時代なのでせう。

 なので、通常は、武を封印する。つまり、右ではなく「左優先」といふ祖先の遺言が、最高神 天照大御神が伊弉諾尊の左目から生まれたことなのです。

 その傳統が、右大臣よりも左大臣の位が上である理由です。

 この事實を知つてゐれば、先の大戰が侵略戰爭だつたなどといふ冗談にもならない言葉が出てくるはずがありません。古事記を讀みませう。

左より 生まれし神を いだきながら いまここにこそ 遺言を知る

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このページは、宝徳 健が2016年11月26日 05:05に書いたブログ記事です。

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