十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年十二月四日 參)

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 前囘は、十二条の条文だけでした。今回は、譯とその意味を。少し空いてしまひましたので、前囘の条文も書いておきます。
 十二に曰はく、國司・國造、百姓に歛(おさ)めとることなかれ。國に二君なし。民に両主なし。率土(そつと)の兆民は王を以て主となす。所任の官司はみなこれ王臣なり。何ぞあへて公と、百姓に賦歛(おさめと)らん。

 第十二条
 もろもろの地方長官は多くの人民から勝手に税を取り立ててはならない。國に二君はなく、民に二人の君主はいない。全國土の無數に多い人民たちは、天皇を主君とするのである。官職に任命されたもろもとの官吏はみな天皇の臣下なのである。公の徴税と一緒に自らの私利のために人民たちから税を取り立てるといふやうなことをしてよいといふことがあらうか。


 「私」は「禾」と「ム」で構成されてゐます。「禾」は作物です。「ム」は肘です。作物を獨り占めすることが「私」の字源です。我が國は、これを「公」に置き換えた社會でした。「ム:わがままを」封じて「ハ:一つ屋根の下で」。

 つまり、ウシハクではなくシラスです。皇室の戰ひは、數千年前の太古の昔から、ウシハクを廢し、シラスに戻すものばかりでした。
 
 須佐之男命がヤマタノオロチと戰つたときも、大国主命が兄弟と戰つたときも(大国主命はその後ウシハクになつてしまひましたが)。日清、日露も、大東亞戰爭も。なぜならそれが人間社會の理想の姿であることを皇室が知つていたからです。

 私たちは、公地公民といふことばを學校で習つてから何氣に受け入れてきました。あの、左翼日教組も、この本當の意味を知らないので、堂々と使つてくれてゐます(笑)。

 公地公民:シラスです。私たちは誰の所有物でもなく、みんな陛下の赤子です。だから、みんなが公平な社會を築くことができました。

 歐米や支那では、こんなことが實現するなど、ありへないのです。

 聖德太子も、この十二条で、ウシハクをきつくいましめてゐます。

 素晴らしい我が國に生まれてきたことを感謝します。

 いにしへより 人間社會の 理想のため ウシハク廢し シラスをめざす

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このページは、宝徳 健が2016年12月 4日 08:15に書いたブログ記事です。

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