日本語の學習(皇紀弐千六百七十七年三月三日 四)

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 三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。みなさん、本當に、昨日紹介した福田恒存先生の「私の國語教室」はぜひお讀みください。日本語に對しての、目が開きます。

 では、つづきです。

 問題を整理しよう。

 第一に、不安を與へられること。

 第二に、その結果、不安を克服するために倫理的關係を小説と結ぶこと。

 この二つが、小説教授のもつとも根本的本質的な影響である。ここまで行けばしめたものだが、大半の小説はここまで行かずに、「體をたのしまれる」だけで終つてしまふといふ賣女(ばいた)の運命にあることは云ふまでもない。

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このページは、宝徳 健が2017年3月 3日 06:42に書いたブログ記事です。

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