命の手紙 1(皇紀弐千六百七十七年四月七日 參)

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 今年九十歳になる私の父が、私に、渾身の力を込めて命がけで手紙を送ってきます。自分の人生の振り返りなどです。私にはどうすることもできませんが、それを遺していきます。私の知らない話ばかりで恥じ入ります。

 まずは、母のことを。父は母をこんなにも愛していたのですね。

 母はどんなく苦しくてもいつも笑顔でした。それだけは引き繼げてゐます。結婚したばかりの時、嫁さんが、言いました。「あんなに苦しい病氣なのに、なぜ、あんなに笑顔なの?なぜ、あんなに人にやさしくできるの?なぜあんなに文句も言わずに生活できるの?」と。


 

 汎子は、静岡県裾野市にいたとき、鈴木医院で診てもらい病状が好転しました。私たちは鈴木医院(先生)を神様と思ったぐらいです。

 だが、その薬はつかってはいけない一時的に楽になる劇薬でした。汎子は薬を抜くために福岡に帰り、九州大学医学部に措置を委ねることになりました。

 いろいろな批判は甘んじて受けますが私は退職して汎子に同行することにしました。本社から静岡県裾野市の工場まで役員が来て、丸一日説得されました。

 妻の病気で会社を辞めるという「女学生のような考え」は持つなとまで言われました。 つづく





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このページは、宝徳 健が2017年4月 7日 08:36に書いたブログ記事です。

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