ご存知ですか?(皇紀弐千六百七十七年三月十三日 参)

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 順番がてれんこになってすみません。

 福島第一原發が、アメリカのGE製で、我が國が必死に改良したからあれ以上の事故にならずにすみました。それでも東電は、あれはGE製だつたとは云ひません。こんなことを云ふと何を言つてゐるんだと言はれるかもしれません。

 では、さういふ方々に。東北地方・太平洋沖地震の前に、東電が原發(福島第一だけではない)を改良しやうとしたら、「なんだ、今までは危險なものを使っていたのか!」と改良させなかつたのはどこのどなたさんでしたつけ?かういふ人たちが原發のことをとやかく云ふことを詭辯と云ひます。まるで民主党です。
 
 それに、福島第一原發は、地震で壊れたのではありません。津濤です。

 私はサラリーマンの新入社員の時、出来立てほやほやの福島第二原發に、タービンオイルを納入しました。涙涙の納入物語は割愛するとして。いまでもぴんぴんしてゐますし、第二原發以外の他の引くでも、原發はびくともしてゐません。それどころか避難所になつた原發さえあります。

 仁德天皇の「民のかまど」の話を知らない日本人は、おそらくいないと思ひますが、昭和天皇のこんな話はご存知ですか?
 昭和天皇は、御文庫と呼ばれた防空壕を、戰爭が終はつてからもなかなかお出になりませんでした。御文庫は湿氣もひどく、健康にもよくないので、侍従が新しく御所を造る提言をしたら却下なさつたさうです。

 昭和天皇がやうやく防空壕からお出になられて、新しく造られた吹上御所にお入りになられたときは、昭和三十六年です。東京オリンピックの三年前です。バラックい住んでいた人たちがやうやく家に住めるやうになつた頃です。

 昭和天皇の大喪の禮のときの話です。竹下首相が、宮中に入り、物置だと思つたところは、実は昭和天皇の寢所でした。

 陛下がお仕事でフランス語を調べておられました。その時、天皇家の土地を拂い下げる書類がまわつてきました。陛下はだまつて、書類にサインされました。

 侍従長がふとみると、陛下が使つてゐらっしゃるフランス語辞書がボロボロです。

 「陛下、新しい辞書を求めませうか?」「金はあるのか?」

 自分のものを人に渡すときはちゅうちょなくご決断され、自分のものを賈ふときには、このご發言。

 敗戰後、GHQが皇室の財産を調べたらかなりあつたさうです。當然です。他國の王とは違うのですから。

 仁德天皇の「民のかまど」の時など、臣民の方から「税金を拂はせてくれ運動」が起きてゐます。

 手塚治虫氏の漫画だと天皇家が民に無理やり前方後円墳を作らせたとなつてゐますが、仁德天皇陵など、臣民が自發的に參加してゐます(手塚治虫も結構曲がつてゐますが:笑)。

 今上天皇陛下も、東北地方・太平洋沖地震の時には、暖房はお付けにならなかったさうです。

 私たちは、皇室のことをどのくらい知つてゐるでせうか? 特に、陛下のその御心を。

 私たちを「おほみたから」として、自分よりも大切に考へてくださり、毎日毎日、私たちの安寧を禱つてくださいます。

 國會であんなくだらない審議が行はれてゐます。特に野党が情けない。

 サウジアラビアの王樣が来日した時も、豪華さとか、タラップがエレベータみたいになつていたとか、赤いじゅうたんだつたとか・・・。メディアは馬鹿か、今のエネルギー構造、世界の覇權奪取の動き、それに伴ふ、地政學と地政經濟學・・・・。語るべきポイントはいくらでもあります。

 小學校と魚市場

 もういいって!

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このページは、宝徳 健が2017年3月13日 13:14に書いたブログ記事です。

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