徒然なるままに(皇紀弐千六百七十七年三月二十四日 弐)

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 今日から長期ロードです。明石→小浜→岐阜→木更津→館山→東京→岐阜→津です。来週水曜日の夜に大阪に戻ります。

 かつては、どんなに仕事をしても疲れるといふことがなかつたのですが、最近、疲れを感じるお年頃になつてきました。哀しいなあ。

 「忙しい」「疲れる」は言葉に出したことがありませんでした。それが最近でるな~。いかんいかん。

 「お忙しそうですね」と云はれると「心をなくして私たちのことを忘れてゐるでせう」と聞こえてしまひます。嫌な言葉ですね(笑)。
 「魅は與(よ)を以て生じ求(ぐ)を以て滅す」といふ言葉があります。

 魅力と云ふのは、相手に何かを與へると生じ、求めるとなくなる、といふ意味です。

 この意味は深いんですね~。

 例へば、コンサルの私が、クライアントに何かを作つて渡すとします(十分協議された上で渡すのは別)。それは表向きは「はい、作ってあげましたよ」と、與へてゐるのですが、實は「これをやつてよ」と求めてゐることになります。クライアントも、求めてはゐますが、自分の求めてゐる内容と違ふと實行に移しません。マスタープランを作る以外、かういふコンサルは100%失敗します。

 もうひとつ、領収書型人間と請求書型人間がゐます。

 請求書型人間。つまり、相手に何かを求めてゐるばかりの人です。これは受け取る側がとてもしんどい。かういふ人は、自分の思ひ通りに人が動かないと、激髙します。

 領収書型人間は相手の考へてゐることが實現できるように自分の力を發揮する人です。でも、これはかなりの器量と度量が必要です。

 危險なのは、請求書型の人が領収書型の人のふりをすることです。

 いつでも自分の請求書が出せるやうに、いつも、人の世話を焼きます。その世話が相手のニーズ・ウォンツに合つてゐるかどうかなどはおかまいなしに。そして請求書を切つても相手が動かないときにかう云ひます。「あれだけ『やつてあげた』のに」と。

大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山 登り立ち 國見(くにみ)をすれば 國原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎(かもめ)立ち立つ うまし國そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の國は 

 萬葉集に載つてゐる、第三十四代舒明(じょめい)天皇の歌です。

 お題は 「天皇の香久山に登りて望國(くにみ)したまひし時の御製歌」となつてゐます。

「大和には多くの山があるが、とりわけて立派に装つてゐる天の香具山、その頂に登り立つて國見をすると、國々の野原には家々からの煙が立ち、海原には鴎が飛び交つてゐる。美しい國よ、蜻蛉島大和の國は 」

 蜻蛉島は日本のことです。最近、橿原によく行くので時々この言葉を思ひだします。

 我が國は、本當に美しい國です。

 さてと、出張中でも、ブログを欠かさないやうに生活を整へて參ります。書きたいことが山ほどあります。

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このページは、宝徳 健が2017年3月24日 03:52に書いたブログ記事です。

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