福岡髙校テニス部日誌 C(皇紀弐千六百七十七年四月八日 參)

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 Cは當面書かないと申し上げました。面白い内容ではないので、みなさんは讀んでいただかなくても結構です。私が、キャプテンシーを見直すために書いてゐます。

 私は中學浪人です。つまり、髙校に入るときに一年遅れてゐます。當時、髙校生で、それを友に告げる勇氣は私にはありませんでした。同級生のみんなごめんね(笑)。

 私が58年の人生の中で、必死に生きた時、が何囘かそして數年あります。その最初が、中學浪人から髙校三年間の合計四年間です。

 中學浪人は確かにつらいことでした。同級生が髙校の校章をつけて學校に通ふ同じ交通機関に、襟になにもついてゐない、学生服をつけて乗り込みます。

 私は、中學三年生の時、十分志望校に通る學力があつたと思つてゐます。自分の素行の責任ですが内申書が惡すぎたのですね。福髙に合格して初めての先生と親との三者面談で、先生が「成績も惡くないし、態度もよいのに、なぜ、こんなに内申書が惡いのですか?」と聞かれました。中學時代、なんども、學校に呼び出されていた母は、答へに窮していました(笑)。

 それでも、受驗勉強をしてゐるとき「俺は、このまま髙校に行つていいのか? やるべき勉強をこんなにやり残したままで髙校に行ってもいいのか?」と強く思ひました。こんなことを言っては父と母に怒られますが、落ちた時、ホッとしました。そして「こうなったら、次の受験までに中學校の問題で解けない問題がないようになってやる」と決意しました。父が慮って、ある髙校の二次募集の話をもってきました。「お父さん、すみません。やり残したことがあります。一年勉強させてください」「わかった」でした。

 その父は、落ちた時、烈火のごとく怒りました。「社會はなあ、結果がすべてなんだ!人は結果でしか人をみない!」と。

 そして、髙校に入りました。父と母に言ひました。「僕は、硬式テニスでインターハイに行くんだ(行きたいとは云ひませんでした)。だから、ある程度勉強を犠牲にさせてくれ」。父と母は黙つたままでうなづきました。

 浪人から髙校の4年間。自分の人生の礎を築きました。

 さあ、運動場を50周走ったときのキャプテン日誌です。部員全員に(もちろんわたしも)50周も運動場を走らせておいて、「まだ、なまぬるい!!」と云へる力が當時の私にはあつたのですね。
10/4 (月)

 急な天候不良のため ランニング 運動場50周

 土曜日 柳川商業行き

 体力強化のために上記のことをした。ある者をのぞき全員ついてきたのには感心した。しかし、まだなまぬるい!!

 このごろ練習にしまりがないと感じる。いくら個人競技でも、1人がわがままをとおすとうまくいなかい。権利だけを主張して義務をないがしろにするということはやめてほしいものだ。

 今からインハイ予選まで、いろいろ試合をするが、今は勝たなくてもいいから本番で勝てるようにしたい。今、勝つことを考えると、どうしてもプレイが小さくなってしまう。

 本番で勝つためにも、試合數を多くしたい。

 ハガキ→OB 練習試合のことを知らせる。11日も。

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このページは、宝徳 健が2017年4月 8日 03:33に書いたブログ記事です。

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