福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十七年四月八日 弐)

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 今日は、安河内君。どつちだ? A?B? まあいいや。 私は、この日誌を今囘、公開するにあたり、「何か、これを書かなくては」といふ氣持ちになつてゐました。必死になつてゐた昔の生き方を取り戻すため? 確かにそれもあります。でも、「なんで、俺はこれを書いてゐるんだ」と明確な答へを見つけきらずにゐました。昨日、はつきりわかりました。 キャプテンシーなのですね。
 
 このブログもなんやかんやいいながら毎日書けない言ひ譯をしてゐました。ブログに對する情熱も薄れてゐました。

 人間は、自分の為だけには生きることができないんですね。自分の為だけだしたらいい加減に生きても許されます。でも、他者へ力を發揮していくモチベーションのためにはさぼるわけにはいきません。何を發揮していくか。キャプテンシー・・・・・・。 

 「何を言つてゐるんだ、お前」とお考えでせう(笑)。

 さて、日誌に戻ります。我が福岡縣立福岡髙等學校 硬式テニス部は、學校一、練習が厳しかつたのです。だから、みんな學問との両立に惱みました。なんせ、縣下第二位の進學校です。

 辞めていく人間續出です。これも「絶對にインターハイに出場する」といふ私のわがままが、そのまま、部の運営に出ていたからです。休みは、正月2日、中間・期末テストの各1週間前、大會が終わった次の日1日。たまに、惡天候のとき(惡天候のときでも、トレーニングをやつてゐた)。

 部活が終はるのが、だいたい20時。今なら、父兄が許さないでせうね。完全に勞働基準法(?)違反です(笑)。でも、私たちのやうな、指導者もいない、豫算もない、設備もない・・・髙校が、インターハイに出場するためには、自分の軆體と、ハートを他校より何倍も使ふしかないのです。

 それは理屈ではない。でも、部員全員のニーズでもウォンツでもない。

 随分と恨まれたでせうね。それでも、インターハイに行くと決めた。そして、行った。

 その理不尽さはなんでせう。企業現場で、敗戰後の廃頽した教育の結果、人が弱くなる中で、その理不尽さが通用しにくくなつてゐます。世の中全體が、「弱くてもいいぢやないか。良い子なら」といふ風潮にある中、企業現場で強い組織を創造していくといふ相矛盾することを實現するためには、どうすればいいのか。

 それを、このテニス部日誌を書きながら自問自答します。もしかしたら、この年になって、もう一度、私がキャプテンシーを發揮しなければならないのかもしれません。

 さて、今囘の日誌の中で、ラインを引かなかつたことで先輩に怒られたとあります。覺へてゐます。これ、一年生を横一列に並べて、私がびんたを張りまくつたのです。今なら、出場停止です。

 我が部では、下級生に對するいじめはありませんでした。でも、このころの體育會といふのは、「秩序維持」は絶對でした。もちろん私たちも先輩からやられました。それでどうのこうのくだらない考へを持つことはありませんでした。今は、かう考へてはダメなんですよね(笑)。
10月12日f(火) はれ、くもり 安河内

ボール ストロークボール 2缶足らず

練習内容
2年 ストローク、2:1.ペアボレー
1年 ストローク、ボレー
ランニングなし、サーキットなし

欠席者
2年 中園さん
1年 森、中島、小田、小山

感想
 中島一平ちゃんがやめるそうだ。テニス部もこうなると3人やめたことになる。やめてほしくないけど、これは一平ちゃんが決めることだろう。

 今日、昼休みのライン引きをしとらんかった。昼休み、終わってすぐコートに行ったのに誰もいてへんかったもで、部室に行った。部室はかぎがかかっていて誰もいてへんかったし、かぎをそのとき持っていなかったので、8組に行った。8組では浅っちんがトランプしよったし、藤たちはいてへんかったので、今日はせんでええのかなあと思いながら、二階の教室にもっどりよった。そしたら、弥永と岡村にあった。弥永に聞いたら知らんて言うから、やらなあかん宿題もあったし、教室にもどった。そして、放課後クラブのとき先輩にいかられた。こうなったのも、ぼくの心が、せんでいいわいと動揺していたのと弥永の"知らん"ということばがいかん。つまり弥永が悪い。

 ということを部誌に書いておこう。でも、ライン引きをさぼった怠慢な心はいかんと思う。

 今日はトレーニングがなかった。先輩が神さま仏さまキリストさまに見えた。冗談やけど、試験が終わってからクラブが始まってトレーニングについていけるのだろうか。なんか試験よりトレーニングの方が不気味に感じる。

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このページは、宝徳 健が2017年4月 8日 02:54に書いたブログ記事です。

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