命の手紙 4(皇紀弐千六百七十七年四月十一日 弐)

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 父は、勉強は常に一番だつたさうですが、軆體が弱かつたと聞いてゐます。

 今では信じられません。

 父の兄弟は、姉、父、弟3人です。 一番下の弟とは約20歳歳が離れてゐます。姉とこの弟以外は亡くなつてゐます。父がけんかで負けたら仕返しに行つてゐた弟も。弱かつた父が長生きしさうです。

 父は、長男です。昔の長男は、今とは考へられないぐらい「家」の概念が求められました。他の兄弟とは區別されて育てられます。あるとき、父は祖父と旅行に行つたさうです。電車に乘りました。

 祖父は一等車で、父は普通車です。これが教育です。

 我先にと電車の席を親が子にとらせに行つたり、子から先に座らせる、今のひどい教育はなんとかならないだらうか。

 さて、昨日の續きです。
 戦後佳男は、北朝鮮にあった学校の同窓会(小学校2校と中学校1校の3校)を立ち上げたが、小学校3~4年の担任の斎藤六三郎先生が、「君はあの脱出の時死んでいると思った(体がよわかった)」「まさか(リーダーの性格のなかった)君が同窓会を立ち上げるなんて・・・」と言っておられた。

 喧嘩も弱かった。泣きながら帰ると弟(2歳下)が敵討ちに行っていた。運動も弟がすぐれていた。社交性もなかった。こんな佳男がなぜ級長を続けたのだろうか。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年4月11日 06:43に書いたブログ記事です。

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