教育に關する勅語 1(皇紀弐千六百七十七年四月十一日 參)

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 もう我慢なりません。アホな國會議員たちのアホな議論を聞いてゐると、我が國は、つぶれてしまふのではないかと思つてしまひます。

 正しい、教育勅語を書きませう!!! かつての士魂商才からです。

 

 我が國には、「十七条憲法」と「教育ニ関スル勅語(以下、教育勅語)」があります。本來の日本人であれば、この二つがあれば成文憲法は不要です。しかしながら、教育勅語は、「軍國主義につながる」として、國會で廢止されました。おかしな話です、勅語は、法律ではありません。國會にその權限はありません。そうです、まだ教育勅語は生きています。それに、教育勅語を讀みもせず、「軍國主義につながる」と言ふのはおかしな話です。内容のどこを見れば「軍國主義」となるのか、まったくわかりません。

 

 驚くことに、教育勅語を読んだことがある國民がほとんどいません。古事記も読まない、教育勅語も読まないで、日本人と名乗ること自體がおかしい。國籍だけ日本人です。


 では、シリーズで書きませう。

 開國そして、明治に突入して、勤勉な日本人は歐米の文明を吸収しようとしました。しかし、その壓倒的な差に、誰もが唖然としてしまひます。西洋のものは何でも素晴らしいという風潮が生まれました。大東亞戦争後の日本によく似ています。

 

 その結果、教育現場で何が起きたかというと「とにかく西洋文明を摂取するしかない」という強迫觀念の下で、ヨーロッパの書物をそのまま急遽翻訳し、各地域、学校がバラバラな教育を行うという混乱ぶりでした。「とにかく英語だ」ということになり、英語さえ教えればいいというやうな植民地のような状況に陥っていました。我が國の伝統的な教養、文化を教える人間は、教育現場から排除される傾向にありました。

 

 かうした状況に最も危機感を覚えられたのが明治天皇でした。

 

 明治十二年、明治天皇は、側近中の側近であった元田永孚(もとだながざね)に命じて『教學聖旨』という天皇の教育に対するお考えをおまとめになられ、それを政府首脳にお示しになりました。概要は以下のようなものです。

 最近、専ら知識才藝のみを重んじ、文明開化のむしろ惡い所を学び、品行を損ない風紀を亂す者が少なくない。その原因となっているのは、明治維新の始めにおいて陋習(ろうしゅう)を破り、知識を世界に求めるとした卓見により、西洋の良い所を学び、文明開化の實を挙げたことはよかつたとしても、その反面として、仁義忠孝を後にし、いたずらに洋風を競うような状況になってしまつたことである。将来恐れるのは、ついに君臣父子の大義を知らないような子供たちが出て來ることも予想されることである。これは我が國の教學が目指す本意ではない。すなはち、西洋の文物を學ぶことはもちろん必要だとしても、まず日本人が立脚すべき道德の根本を教へなければ本末轉倒になるのではないか

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このページは、宝徳 健が2017年4月11日 06:56に書いたブログ記事です。

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