虹始見(皇紀弐千六百七十七年四月十四日 參)

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 昨日まで、鴻雁北(こうがんかへる)でしたね。

 今日から、七十二候 清明 末候 虹始見です。「にじはじめてあらはる」と讀みます。

 春が深くなるにつれ、空気が潤ってくるので、この時期からきれいな虹を見ることができます。虹が虫偏なのは、空にかかる虹を大きな蛇と見たてたためとされています。
 虹は、和歌にはあまり登場しません。なぜかしら???

伊香保ろの やさかのゐでに 立つ虹の 現はろまでも さ寝をさ寝てば(万葉集14)

時雨つつ 虹立つ空や 岩橋を 渡し果てたる 葛城の山(寂蓮法師)

むら雲の 絶え間の空に 虹立ちて 時雨過ぎぬる をちの山の端(藤原定家)

 ぐらいでせうか?

 でも、虹が出ると、誰もが「うわあ~虹だ~」と云ひますよね。何かロマンを感じる虹。次にみられるのはいつでせうか。

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このページは、宝徳 健が2017年4月14日 01:56に書いたブログ記事です。

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