命の手紙 10(皇紀弐千六百七十七年四月二十八日 弐)

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 今年の七月一日で九十歳になる父は、いまだに、小學校とか軍隊時代の同窓會をやっています。來る同窓生もよく生き残つてゐるものです(失礼:笑)。

 日韓合同同窓會の話です。
 姜豪(きょうごう)は中のいい友達だった。部下二人を伴い米国視察をした帰路、日本に寄ってくれたが、「日本人の家で遊びに行ったのは君の家だけだった」と抱きついて涙していた。

 それ以降、私の知らない同窓生が韓国から訪ねてくるようになった。「日本に行ったら必ず宝徳に会えとMr姜から言われている」といって、外国から来た友からご馳走になった。彼らはミスター姜と言っていた。

 彼は韓国、私は日本の会長。医師は通じるので、京城(ソウル)で日韓合同同窓会を開催した(韓国で開催したので「韓日合同同窓会と名付けた」)が、姜豪は脊椎カリエスで欠席した。彼がいな会合には来なければよかったと思いながら、金浦空港を出ようとしたら出口に彼が立っているではないか。「」宝徳君がくるのになあ」と・・・・。  つづく

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このページは、宝徳 健が2017年4月28日 07:34に書いたブログ記事です。

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