幸せの方程式(皇紀弐千六百七十七年八月十五日 七)

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 「幸せの法則」ではありません「幸せの方程式」です。ただの私の考え方です。

【前提条件】
①人間は自分だけのために力を盡くすことはできない
②人を幸せにしようと思ったら自分の幸せを削って相手に渡さなくてはならない。
 ②が當てはまるとすれば、人を幸せにするために自分の幸せを削るなんて嫌ですから、通常そんなことはやりません。

【幸せの方程式①:親子】
 ②が當てはまらないケースが存在します。それは、親の子に對する愛です。私は、子供が生まれたとき、初めて、自分の命を引き換えにしても護りたい存在に出逢いました。たとえば、彼が不治の病になったとします。死神が、「お前の命を差し出すなら、この子を助けてあげよう」と言ったら、即座にOKです。コンマ何秒も迷わないでせう。いえ、瞬時も迷いません。

 最近、賈ひ物に行くときに車の中に子供を置きっぱなしにする親が多いやうですが、私の思考囘路では、信じることが出來ません。かういふ人たちは、この幸せの方程式に當てはまらない親なのでせう。ましてやパチンコに行くときに、子供を置いていくなど!!!かはいさうですよね。この世で一番素敵な方程式を知らないんですから。

 基本的人權つて何か知つてゐますか? かういふことなんです。「私が賈ひ物に行くときに邪魔だから子供は車の中においていく(もしかして死ぬかもしれないけど)。その權利が私にはある。」。日本國憲法つて恐ろしいでせう?

【幸せの方程式②:なかなか人を幸せにしてあげない。幸せにしてあげたくない】
 これが、先ほど申しげたことです。「なんで、自分の幸せを犠牲にしてまで、あんたを幸せにしなくてはならないのよ」。今の世の中の異常なマジョリティの世界ですね。「幸せになんかならない」「誰も私を幸せにしてくれない」「自分だけが良ければいい(日本國憲法の 平和主義の發想です)」。

【幸せの方程式③:幸せを分け合って餘らす】
 ただ分け合っても目減りするだけです。このキーワードが「成長」なのです。お互いに成長すれば、成長した分の一部をお互い分け合へば、お互いが幸せになれます。

 我が國は、かつて唯一、お互いに成長し、幸せを分け合ひ、幸せを餘らせてきた國なんです(分け合つて餘らせてきた國)。だから、何千年も歴史が連續したのです。世界で唯一の人間社會の歴史を築くことができたのです。

 この方程式③は眞理です。家でも、企業でも、國家でも、世界でも。古事記を讀めばわかりますよね。海から來侵略者が、我が國に元からいた人間が、この考え方で平定(征服や虐殺ではない)していく物語です。

 我が國の精神文化 武士道の原理は「鍛え上げた己の力を他人のために使ふ」です。すさまじいですね。昔の人は知っていたのです。「滅私奉公」ではなく「背私向公 はいしこうこう」の素晴らしさとすさまじさを。だから己を鍛え續けました。滅私奉公だと、歐米や支那の奴隷と同じ考えになります。我が國に滅私奉公はありません。
 
 一方で、成長にチャレンジすることはとても苦しいことです。厳しんです。そこに最初の前提条件が出てきます。「人は自分だけのために力を尽くすことができない」。だから支へあふ。

 このせめぎ合いの中で生まれてくるのが和です。本當の意味の和です。薄っぺらいチームワークなんかではありません。

 もう一度、もう一度、もう一度、自分に活を入れます。

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このページは、宝徳 健が2017年8月15日 11:53に書いたブログ記事です。

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