命の手紙 40(皇紀弐千六百七十七年八月八日 參)

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 九十歳の父が、何かを遺さうと頻繁に送つてくる手紙を紹介してゐます。

☐昔話
 の第二弾

☐第二次世界大戦末期の昭和20年に旧満州(現中国東北部)でソ連軍に捕まり、シベリアで抑留された日本人男性がロシアでせいぞんしていることが新たに判明した‐毎日新聞‐

 です。
 抑留者のほとんどは昭和31年12月までに日本へ帰還したが、外務省の資料によると、約千人がソ連にとどまったとされる。その男性が、初めて日本メディアの取材に応じた。「戦後、一度も日本に帰っていない。死ぬまでもう一度日本をこの目で見たい」と話している。

 取材に応じたのは北海道遠別村(えんべつ)(現遠別町)出身の田中明男さん(89)。
「田中明男 写真」の画像検索結果

 田中さんによると80年代(昭和55年~)にレニングラード(現サンクトペテルブルグ)の日本総領事館を訪れ、「日本に帰りたい」と訴えたことがある。田中さんが満洲に渡る前、父は北海島の登別温泉で旅館経営をしており、3歳年下の妹もいた。だが、総領事館から、お父さんはすでに亡くなっている。妹さんの連絡先は不明と告げられたという。  つづく


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このページは、宝徳 健が2017年8月 8日 05:53に書いたブログ記事です。

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